(幸福(しあわせ)幸福(しあわせ)。今日も働くことができて、御飯も食べられて、一日を穏やかに過ごしているから……幸福(しあわせ)よ)
 心の中で呪文のように「幸福(しあわせ)」という単語を繰り返した。
 居間に戻った彼女の表情には一寸の(かげ)りもなく、
 「お父さん、お風呂どうぞ」
 と言って静々と居間の端に座る。
 「いやいや、今日はお客さんがいるのだから。お嬢さんを先に」
 家長は囲炉裏を挟んで斜め向かいに座っている断髪の女に視線を向ける。
 「恐れ入ります……では、お言葉に甘えてお先にして失礼します」
 女は間髪入れず会釈をして、風呂敷から着替えを取り出している。
 彼女が居間を出たところで、志津は、
 「お待たせしてしまって申し訳ございません……これから直ぐに御夕飯も支度しますから」
 と皮肉めいた口調ながらもしょんぼりとした顔をして見せる。
 一方の女のほうは、
 「いいえ……私こそ、突然でしたのに泊めていただいて……もしよろしければ、御飯の支度を手伝わせていただけないかしら。刃物や火の扱いは出来ないけれど、盛り付けや配膳くらいなら」
 と爽やかな話し口である。
 志津は彼女の口から出る言葉に嫌味を感じていたが、それは表には出さず、さらに遠慮がちに下を向いている。
 「……お風呂、お先にいただきますね」
 そうして女が廊下から見えなくなると、志津は直ぐに囲炉裏の前に座っている父に、
 「お父さん」
 と一声かけて、客人の風呂敷を挟んだ向かいの座布団に腰を下ろす。
 「うん?」