彼はきっと真っ直ぐな気持でその言葉を発したのであろうが、志津の胸中には得体の知れない罪悪感に似た感情が(たぎ)っていた。
 その罪悪感の一つは、父に対してである。
 父はよくこんな話をする。
 「お前が子供の頃はな、こんなに背も小さくて、ほっぺがふっくらとしていて、たかいたかいをしてやると、空に吸い込まれてしまいそうなくらいに軽かった。抱いてやるといつも笑っていて……嗚呼(ああ)、今となってはよく働いてくれる美しい娘になって、良い医者の嫁に行く準備も出来ているが、母さんにこの姿を見せられたらどんなに喜ぶだろうね」
 少なくとも五、六年はこの話を聞いてきた。
 志津の母は娘を出産して間も無く体調を崩した。元々は心身ともに健康であったが、出産後の体力の落ちたところに肺を患ってしまい、帰らぬ人となった。父を含め親戚一同、彼女の訃報(ふほう)については、何故あの人が、あんなに元気だったのにと、まさに青天(せいてん)霹靂(へきれき)といった印象を受けたらしい。
 志津は母については父からの話と数枚の写真で知るのみであるが、所(いわゆる)美人で、献身的で、優しい人だったのだろうと、時々声も知らない母に想いを馳せる。
 ここで一つ問題となるのは、父はどうなのかというところである。聞くところによると、父と母は鴛鴦(えんおう)の仲であったらしい。二人は見合い結婚とはいえ恋愛結婚のような仲の良さでありながら、母は良人(おっと)を立てるのが上手く、それはもうよく出来た妻とみえる。そんな妻を失った亭主の気持というのは、如何なものだろうか。