「悪いな、志津(しづ)ちゃん」
 「志津さん、すまない」
 「志津よ、すまんな」
 ──今まで幾度も、幾人もの人から謝られながら生きてきた。
 哀れみの目を向けられ、同情の言葉を掛けられ、「不憫な娘」という札を付けられて生かされてきた。
 自らは決して自身を不幸な人間だとは思っていない、(むし)幸福者(しあわせもの)だと思っているのだが、他人(ひと)の目には、可哀想な人に見えるらしい。
 許嫁が応召してから約一年が経ち、今日、一通の葉書が届いた。彼は今や南方で兵士の手当をする陸軍軍医少尉だ。葉書には元気で軍医の仕事に励んでいるという内容が書かれている。
 志津は今晩も机上に置いてある日記を読む。九年前の冬に書いた頁である。
 『私ハトテモ仕合(しあわ)セデス。リツパニ育テテ貰ヒ、澤山(たくさん)勉强(べんきょう)ヲサセテ頂キ、ナント婚約者(まで)探シテ下サイマシタ。淸廉(せいれん)デ、美形デ、優シイ御方(おかた)デス。誰モガ私ニツイテカワイサウダト言ヒマスガ、()ノ御方ダケハサウハ仰ラナイノデス。何ト素敵ナ御方ナノデセウ』
 十六歳で婚約者の決まったその晩に綴った言葉は、純真無垢そのものであった。彼だけは自分に対して哀れみの目を向けはしないと思っていたが、昨夏、遂に彼もあの言葉を口にしてしまったのである。
 その人は昼休憩の間を縫って来たとかで、突然病院に現れた。
 「僕も征くことになった」
 「まあ、そうなの……」
 玄関口でそう告げた彼の目に光は見えなかった。
 「志津さん、すまない」
 「どうして貴方が謝るの」