(何か悲しいことでもあったのかしら)
 春子の手からハンカチを取ったモガは、それを涙の伝う頬に優しく当てた。
 「すみません……何でもないんです。本当に、本当に何でもないんです。ただ……」
 「何も言わなくていいわ。泣きたい時は泣けばいいじゃない」
 モガは春子が話すのを遮るようにそう言った。
 「こんな時勢だもの。辛いことの一つや二つ、あって当然だわ。それを無理に封じ込めて生きる必要なんて無いわよ」
 ようやく自分で涙を拭い止めた春子は、まずモガの正体が気になった。
 「あの……前にお会いしたことがありますか」
 「えっ!いや……いいえ、初めてよ」
 モガは少し動揺したような表情を見せたが、ハンカチを畳みながら自己紹介を始める。
 「私は伊坂幸枝(いさかゆきえ)。とある会社で働いているわ。あなたは?」
 ハンカチを受け取った春子の頬はすっかり乾いている。
 「松原春子です。女子大学校で家政を学んでいます」
 「春子ちゃんというのね!よろしかったら今から一緒にお茶でもしない?こうして出会ったのも何かの縁よ」
 春子は幸枝の明るい笑顔に思わず(うなず)いた。
 幸枝の案内する先には小さな純喫茶があった。
 「まあ……こんなところに純喫茶が!」
 「隠れた名店なのよ。さあ、入りましょ」
 路地裏に構えるその店内に入ると、少し暗い部屋の中にジャズが流れる小粋な雰囲気が漂っている。
 客は幸枝と春子だけであった。
 「春子ちゃんは何にする?」
 「ええっと、紅茶を……」
 席に着くや否や、幸枝は早速注文をしている。
 「おじさん、紅茶ふたつお願い」