幸枝は確かに清士との関係で悩んでいた。外見良し、育ち良しのエリート、実業家の長男、帝大……全てを持つ男である、こんな大魚を逃して良いものかとさえ思う。しかし一方で、あの反吐(へど)が出そうなほどに、限りなくゆらゆら、ふわふわとした風船のような弱々しさが嫌でたまらない。唯一の欠点が長所の全てを凌駕するほどに好ましくないのである。
 ただし、幸枝は春子の話しぶりから彼女も平然としながらも彼との関係で悩んでいることは分かっていた。おそらく、彼女は悩ましいのである。そうして、幸枝はこう言った。
 「ねえ春子ちゃん。貴女から気持ちを伝えちゃったら良いじゃないの。私、そうやって思い悩む春子ちゃんのことをこれ以上見ていられないわ」
 何も知らない春子は年上からの単純な助言だと信じて聞いているはずだが、幸枝にとってはこれは自戒であった。これを機に「大魚」への未練を無くそうという試みである。
 幸枝は頬杖を付いた人差し指の先を春子に向けた。
 「もう時間が無いわよ。春子ちゃんが貴女の好きな人に告白したとして、相手の方も答えてくれればそれは良いことだし、もし上手くいかなかったら其処迄よ。春子ちゃんなら分かるわね。貴女にお付き合いを申し込んだ方にも、貴女の好きな人にも、残された時間は同じよ」
 男は日毎(ひごと)に戦場へ征く。帰ってくる者もあれば、帰らぬ者もある。その意味では、幸枝のこの発言は決して間違ったものではなかった。
 そして、幸枝はやはり自らの紡いだ言葉を自ずと心に刻み付けるように話していた。