「お前も知っているだろう、今日から我が社の仕事も重点産業となった。やはりあの注文量に追いつくには工場を増やすほかあるまい」
 呆然として見る茶色いスーツの背中は、部長らが向かった会議室へと消えていった。
 「幸枝ちゃん、戻りましょう」
 先輩の社員が幸枝の肩に優しく手を当て事務室へと促したので、彼女はとぼとぼとした足取りながらも部屋に戻り大机に並んだタイプの前についた。
 春の間は兎にも角にも働き詰め、二兎を追って一兎を得ぬところか小銃片手に木陰で動くものは全て捕捉せよという勢いであった。
 毎日朝から夕方まで鍵を打ち続け、時折区内の工場へ見学に行き、二週間に一度「取引先との面談」と称して──社員は営業の仕事だろうなどという指摘はしない──海軍との「仕事」をこなす。家に帰れば夕食の席でも仕事の話、休む間もなく日は昇り、またタイプの前に座って打鍵の音を響かせる。
 事務室にはいよいよ談笑の声や終業後は何処へ行こうかといった楽しい話は聴こえなくなり、社員の間で交わされる言葉は書類を手渡す際の指示のみとなった。その声も掻き消すほどに、打鍵とベルが途切れることなく鳴り響いている。それは事務室だけの話だけではないらしく、兄のいる製図部も、一日中鉛筆が紙の上を走る音しか聴こえないのだという。