明くる月、伊坂家では突然舞い込んだ商機に立ち働く日々が続いていた。
 事の始まりは、兄妹が各々父に手渡した「注文票」である。
 その日の封筒は、些か重みを感じられた。
 両軍からの注文票には制式名称がずらりと並べられ、注文された部品の(おびただ)しい数量が続いている。
 どちらにも、「初春の候、御社に於かれましては益々御健勝のこととお慶び申し上げます」といった他愛もない調子の一文から始まる手紙が入れてあり、増産を頼みたいだとか、納品を早めてはくれないかだとか、そういったことが書き連ねられていた。
 「お前はどう思う」
 食堂に集まった父と兄妹は、揃って二通の注文票を見ている。
 「これは工場を増設するほかないでしょう、工員を増やすのにも限界があります」
 「そうか……幸枝はどうだ」
 「陸軍からの注文もかなりの量で、この量をこの期間で捌くのは難しいので……此処は私が海軍に納期の先延ばしを掛け合ってみましょうか」
 父は、顎髭に手を当てて、
 「もう少し考えてみるか」
 と悩んでいた様子であったが、幾つかの工業が重点産業となった月の半ば、朝礼で社員らの前に立った彼は胸を張って伝えた。
 「今日から工場を拡大し、生産力を上げる。各部とも忙しくなるが、今こそ皆が力を合わせるとき。詳しい内容はこの後各部長に伝えるので、今日も張り切って頑張ってくれたまえ」
 義雄と幸枝さえも知らされなかった方針に、兄妹は当然、社員全体が騒然としていた。
 「お父さま、一体どういうことなの?」
 幸枝はタイプライターの置かれた大机でともに働く女子社員達の輪を抜け出し、父のもとへ駆けていく。