「一曲弾いて差し上げましょう」
 春子は約束通り勝俊の家にいた。特に乗り気でもなかったが、断る理由もなく、ただ呼ばれて行った格好である。
 ただ、どことなくぎこちないところはあった。
 ピアノを弾く勝俊の身体は、肩幅が広く、がっしりとしている。
 あの身体に自分の身を委ねたのかと思うと、小恥ずかしいような気がしてくるのだ。
 流れるように滑らかな旋律が目の前の開放的な庭にまで広がる。
 ピアノに向かい合って座る勝俊とそれに背を向けるようにソファーに深く腰掛ける春子の少しの隙間に庭からの風が吹く。
 春子は俯いて勝俊の奏でる音楽を聴いている。
 (私、清士兄さんと会えて嬉しかったはずなのに……)
 開放されたガラス戸の先に見える庭には美しい花や草木がひしめいているが、少女の気持ちは庭の明るさとは真逆で、雨の降るようなものであった。
 (きっと音楽の所為(せい)ね)
 哀愁の漂う儚げなメロディーが春子の憂さを呼んでいるのだろうか。
 (しばら)く紅茶を飲みつつ外を眺めていた春子だったが、勝俊の演奏の手が止まったところでふっと振り返った。
 「神藤さん?」
 勝俊は何も言わず、鍵盤から離した手を膝の上に置くばかりである。
 「どうかなすって?」
 スッと立って春子の向かい側のソファーに向かった勝俊の足取りを春子が目線で追う。
 ゆっくりと腰掛けた勝俊は、春子の目を(のぞ)くように真っ直ぐと見た。
 「春子さん、僕と結婚するつもりでお付き合いしていただけませんか」
 「……え?」