「成田さん、何を仰っているの?」
 大きく見開かれた丸く愛らしい眼がこちらを向いている。
 感情を抑えようと深呼吸を繰り返す清士であったが、隣に座る可憐な少女の目が自らの中にある何かを捕らえて離さない。
 隠しきれない動揺のこもった視線を向けられた幸枝は、皮肉にも冷静になっていた。次の数秒のうちに起こることは大方予想ができる。
 問題はそれを受け容れるか否かである。当然常識人ならば退けるが、仕事詰めのために浅草に出向く回数もめっきり減り、数少ないレヴューや映画も味気ないものとなったこの頃、青年が恋愛に燃えることも悪くはないのかもしれない。
 しかし、此処は会社の応接室。さらに単なる勤め先ではなく自らの家族の会社である。
 清士の話の通り、確かに思わせ振りな言動で彼を弄んでいた節はあるし、自分の感情を躊躇なく発言するようになった彼はどこかすっきりとして嫌な感じがしなくなった。
 (ひとつ、この人の望みを叶えようかしら)
 誘うような笑みを浮かべた幸枝は、清士の手を取って窓際の正反対の位置にあるコンソール・テーブルの目の前へ行き彼と向かい合わせで立った。驚きに満ちた表情を見上げ、
 「今日はこれきりよ」
 と口付けをした。小鳥が木の実を(ついば)むような格好である。
 高く上げていた踵を地面に付け、白いシャツの胸元から手を離した幸枝は、
 「貴方が私を好いてくださるのなら、それに応えても良いかもしれないわ」
 とだけ言い残して応接室の扉へと向かった。
 「お仕事に戻らなくちゃ」
 清士は満更(まんざら)でもない表情を見せながらも幸枝の後に部屋を出た。