三羽雀

 橋の中腹あたりの欄干に寄り掛かって反対側の道を眺める。
 黒い車体は朝日に照らされて眩い光を放ち、道ゆく人は忙しなく歩いている。
 早朝の雨の面影すらない空は遠くまで晴れ渡り、時間の経過とともに人や車の往来が増えてきた。
 八時二十五分、隣に誰かがやって来る。
 「やあ」
 (……五分早いわね。此処に何の用かしら?それとも……?)
 もう何度も聞いた、あの優しい声である。
 相変わらず深く被った軍帽で目元は隠れているが、その身長や体つきで誰かは直ぐに見分けがつくものだ。
 それに第一、この時間にこんな場所に来る軍人はあまりにも珍しい。華やかな色の失せたこの街には眩し過ぎるほどの純白の軍服である。
 「どうも」
 長津が「仕事」目的でこの橋の上に来たのか、それとも通りがけに声を掛けただけなのか。通りがけであるならば、この後の行先はどこなのだろうか。
 「三十分迄の五分間、世間話でもいかがです」
 幸枝はこの一言で長津のこの場に来た目的を理解した。
 「……ご縁がありましたね」
 「はあ」
 向かい風に吹かれて揺れた髪で隠れていた横顔には微かな笑みが浮かんでいる。
 「傘を返しそびれてしまいました」
 「新しいものを購入しましたのでお気になさらず」
 二人の間に暫しの沈黙が流れる。互いに何も口にはしないが、道路からの喧騒は容赦なく耳に入ってくる。
 時計は八時二十七分を指している。
 「お仕事は、お忙しいですか」
 「忙しいですね、内地での勤務なのできっとまだ良いほうですが。そちらは?」
 本所の街のあるほうを眺めた幸枝は、
 「大忙しですよ、お陰様で」
 と明るい声で冗談めかしい皮肉を呟く。