衣裳室には洋装から和装まで様々な服が掛けられ、大きな鏡台が三つほど並んでいる。
 「衣裳と鬘は此処に、化粧道具は鏡台に置いてあるから、自由に使うと良いよ」
 幸枝は団長が去った部屋を見渡し、服を探し始めた。
 赤や紫の(まばゆ)いドレスや美しい柄の着物の間に、葡萄茶(ぶどうちゃ)色の(しま)の着物を見つける。
 (これくらいが無難かしら……帯はこれで)
 紫黒(しこく)の帯を手に取った幸枝は、慣れない手つきで着物を着始める。
 (これを結んで、此処を留めたらこれを巻いて……あとは鬘とお化粧ね)
 鏡台の前で深紫の上衣を羽織ると、全身をぐるりと見渡し一息ついた。
 (こんなものかしらね。悪くはないわ)
 目の前にいるのは七三に分けた耳隠しに無造作な眉と薄い口紅の女性、日々忙しなく働き街を闊歩する少女の姿はどこにもない。
 衣裳室を出た幸枝は団長に一つ礼を言って牛込へ向かうことにした。
 都電に数十分揺られ暫く歩くと、「若松台」もとい陸軍経理学校の正門と荘厳な校舎が見えてくる。
 (到着したのは良いけれど、約束も無しに来てしまったからにはどう動いてよいものかしら……弱ったわね)
 校門の奥からは威勢の良い掛声が聞こえている。
 十数分正門の前を行ったり来たりしていた幸枝であったが、彼女に気がついた一人の軍人がこちらへやってくる。
 (あれは教官かしら……面倒なことになったわ)
 教官に目を付けられたことに内心戸惑った幸枝であったが、教官はその意に反して穏やかな語り口であった。