旅行の予定を決めるため、僕の部屋にやって来た彼女にそんな話をしたら、彼女はへらっと暢気に笑って「不器用だよねえ」と言った。

「たぶん周りのみんなは、仕事もプライベートもちゃんと折り合いつけて、楽しくやってるんだろうけどねえ」
「うん。会社の先輩の話とか聞いてると、ほんとそう思う。仕事もきっちりこなして、でも恋人や奥さんとの時間も大切にしていて。休日にはしっかり家族サービスもしているみたいだし」
「まあ、わたしたちは昔から不器用だったし」
「そうだね。馬と鹿だしね」
「ふふ、馬と鹿だもんね」


 馬と鹿。それは高校時代の話だ。

 青くて若くて、周りが全く見えていない、表面的な恋愛をしていた僕の机に、誰かが「馬」と落書きをした。当時付き合っていた子の本性に気付かず熱に浮かされていた僕に、それを伝えるためのメッセージ――馬鹿の「馬」だと解釈して、それがその子と別れるきっかけになった。

 それを書いたのが彼女だと気付いても、なかなか話しかけるタイミングが見つからず、そんな勇気も枯渇したまま、結局卒業の時を迎えてしまった。
 当時の僕にできたのは、彼女がしたのと同じことだけ。「鹿」と書いた紙を彼女のげた箱に入れたのだ。

 あんなに分かりにくいメッセージを書いたきみは馬鹿だ。きっともっと仲良くなれたのに、僕の存在に気付かないなんて馬鹿だ、という意味を込めて。それを彼女が気付いたか、答え合わせができたのは、それから八年も経ってからだった。

 と同時に、彼女が書いた「馬」の字には「わたしを選ばないなんて馬鹿だ」という意味も込められていたと知ることにもなった。

 あの頃お互い胸に芽生えていた淡い恋心も、送り合ったメッセージの意味も、何ひとつ伝えることができない。そんな不器用極まりない僕らだ。
 どちらかが無茶をしないと、上手くいかないかもしれない。

 まあ、再会してから付き合い始めるまでも、顔を覆いたくなるくらい不器用で情けない時間を過ごしたのだけれど……。これは高校生の頃の話と違ってつい最近のことだから、まだ頭の中で美化が済んでいない。
 お互いの空気が馴染み、もう高校生ではなく大人なのだと理解するための大事な数ヶ月だったけれど、思い出すには少し恥ずかしいのだ。