机に両手をついて立ち上がると、ちょうど彼女が電話を終えて戻ってきた。

「スズからだった。おぼえてる? 鈴村桐。一年生のとき、小林くんも同じクラスで」
「笹井さん」
 彼女の言葉を遮り、名前を呼ぶ。彼女はきょとんとして首を傾げた。

「二十六歳、もうなった?」
「ううん、まだ。十一月生まれ。小林くんと一日違いだよ」
「なんで知ってるの?」
「入学してすぐの総合学習で、自己紹介がてら自分年表を発表する授業があった」
「おぼえてないな」
「そりゃあそうでしょう」
「十年前の今日は、俺たちはまだ何の会話もしていなかった」
「そうだね。まだだね」
「でも十年経って、大人になった。昔の話もして、僅かしかない思い出も共有したから」
「うん?」
「今度は、今現在の話をしませんか?」

 言った。情けないくらい鼓動を速めながら、ついに言った。あの頃いくら集めても足りないくらい枯渇していた勇気は、この十年で、いつの間にか溜まっていたらしい。

 彼女はすぐにその意味を理解したようで、右手に持ったスマートフォンをぎゅうっと握り締め、ゆっくりと頷いた。そして真っ直ぐに僕を見つめて「今度、ごはん食べに行こうか」と言ってくれたのだった。


 馬と言われて十年、鹿と言って八年。長い年月を経て、僕たちはようやく、連絡先を交換した。改めて握った彼女の手もびっしょりと濡れていて、勿論僕の手もびしょ濡れで、顔を見合わせて笑った。




(鹿編・了)