私が高校に入るか入らないかというころ、界隈で「リケジョ」という言葉が流行った。理系女子を略してリケジョと言うわけだが、私は彼女らとは程遠い「ブンジョ」である。
 数字にはどうも苦手意識があるし、数学なんて(もつ)ての(ほか)
 中学の頃は優秀な部類ではなかったが特段出来が悪いというわけではなく、私が数学に嫌悪を抱き出したのはおそらく高校二年からであると思っている。
 数学の教師がとてつもなく嫌いだった、ただそれだけの理由である。
 毎回授業の前後に、黒板消しクリーナーで黒板消しに染み付いたチョークの粉を丁寧に吸い取り、ぶつぶつと文句を言いながら丹念に黒板に残った白や黄色の消し跡を一ミリも残さず消し去り、気に入らない生徒には「阿呆(あほ)たれ」と言い、数学ができなくては社会でやっていけないと熱弁を振るった彼は、私が高校を卒業してから一年ほど経ったところで学校を辞めたらしい。
 辞めたのか辞めざるを得なかったのかは知らないが、昭和の時代ならともかく、今のように体罰がハラスメントがと言われコンプライアンスに厳しくなった時代では、何かひとつ生徒や保護者から学校に報告があれば教師方には痛手なのかもしれない。
 他人(ひと)所為(せい)にするのはあまり好きではないのだが、数学に関しては教科担当が彼になった日から意欲を削がれたと言い訳をさせていただきたい。

 高校一年の時の教科担当は旧帝大出身の若い女性の先生であった。
 時に優しく、時に厳しくといった感じで、生徒想いで感じの良い、高校教師という言葉が似合う先生である。