大学の年度終わりにあるガイダンスで隣の席になった女子学生は、私がタブレットでメモを取っているのを見て「タブレット使ってるんですねえ」と少し珍しそうな顔をした。
 私の友人の間でもノートパソコンかタブレットのどちらかを使っているという人が多く私のように両方を使っている人はそう多くは見当たらなかったが、その女子学生は「私はノート派だな」と呟いて手元の資料に目を通していた。
 彼女曰く実際に書かないとものごとが覚えられず、ノートでないと探したいことがらが見つかりにくいのだという。
 タブレットのノートアプリを強く推すわけではないが、タブレットで板書を取るにもどのみち実際に手を動かしペンで書くわけだし、ノートアプリの検索欄で調べたい言葉を入れて検索すれば一瞬でその言葉が書かれたページが全てピックアップされるので何冊ものノートをペラペラと(めく)り続けて、あるいはノートから飛び出た色とりどりの付箋を辿ってようやっと探していたことがらに到着する長い長い道のりが一瞬で済んでしまうのに、と思ってしまった。

 ノートアプリで板書を取ることはその効率の良さもさることながら、私と非常に相性の良いことであった。
 私の場合、ある内容をどこに書いたか、何が書いてあるかを探すために紙のノートをペラペラと捲っていると、目的と全く違うページに辿り着くと言うことが往々にしてある。
 これは私の「好奇心」と関係しているのだが、小さい頃から知らないことは何でも知りたい、勉強したいと思うたちであったので、ノートを捲っていてもひとつ興味深いことや好きなことを書いたページが見つかればそのページに寄り道して(かじ)り付き、それを読み終えたところで目的を遂げたような気分になってノートを閉じてしまうのである。
 勿論、本来の目的は果たされないどころか忘れられている。