あの世界で蒼井がいなかったら、私は今ここにいない。
私はまだなにも蒼井に返せていない。
だから私と一緒に現実で生きよう。何年経っても待つから。ずっとずっと待つから。
「………お……い」
なんだか遠くで声がする。気のせいかな?
「おい、ブス」
私はビクッとなって、思わず椅子から転げ落ちた。どうやら少しの間うたた寝をしてしまっていたようだ。
強打したお尻を擦りながら、立ち上がる。オレンジ色の夕日の中にいる〝彼〟が、じっと私のことを見つめていた。
「ダサ、なに今の。三回は思い出して笑えそう。つーか普通はもう少しソフトに握るんじゃねーの? すげえ手が痛いんだけど」
それは、夢でもなんでもない、蒼井の声だった。
「……あ、あ……」
どうしよう。声にならない。
確かめるように、私は彼の顔を見る。瞑っていた目が開いている。今までなにをしても反応がなかったのに、私がツンと頬を触ると、嫌そうな顔をした。
「俺は虫かよ」
蒼井だ。正真正銘の蒼井翔也だ。
「ほ、本物だよね?」
「本物だよ」
「夢じゃない?」
「ここは現実だろ」
「……っ、」
私はその瞬間、彼に抱きついた。
涙がとまらない。
嬉しくて、嬉しくて、たまらない。
蒼井は少し痩せてしまったけれど、その大きな手で私のことを強く抱きしめ返してくれた。
「俺になにか言うことは?」
耳元で彼が問う。私は蒼井の肩に顔を埋めながら、ヒクヒクと答えた。
「ありがとう」
「あとは?」
「ごめん」
「あとは?」
「生きててよかった」
「うん」
「私もう負けないから」
「うん」
「会いたかった」
「俺も」
強くまた抱きしめ合う。
あの世界の出来事は現実の時間にすると、たった五日間のこと。でも私たちはあの世界で自分自身と向き合って、大切なことに気づけた。
きっとこの先どんなに辛いことがあっても、私は同じ過ちは繰り返さないと誓える。
「おかえり、蒼井」
「おう、ただいま」
彼はニカッと笑う。きみと、また同じ世界で生きられることが奇跡だ。



