「賢也、悪いけど出てくれる」
声をかけられて慌てて立ち上がったせいで足が椅子に引かってしまう。かろうじて立ちあがって玄関に向う。

ドアを開けると茶封筒を持った郵便配達員が立っていた。
「書留です、判子かサインをお願いします」

あわててシューズボックスの上にある小箱からシャチハタを取り出すと指定の場所に押印し、封筒を受け取った。

宛名には片桐賢也様と書かれている、差出人には片桐有佳と書かれていた。

受け取りたくなかった
中を開けるのが怖い

リビングに戻り脱力しながら椅子に座ると、「開けて中を確認して」と言って鋏を渡された。

鋏が紙を切るしゃくしゃくという音だけが響く。

中から出てきたのは

示談書と書かれた紙だった。
震える手で内容を確認する、今顔をあげれば有佳と目が合ってしまいそうで怖かった。

途中から読み進めることが辛くて二ヶ月前のことを思い出していた。

みんなと一緒に二次会に出ていれば
タクシーで帰っていれば


飲み会に出なければ

気がつくと有佳が条文を声を出して読み出した。

第一条乙及び丙は甲に対して、乙と丙が不貞行為を行った事について真摯に謝罪し、甲の離婚の申請に対して無条件で承諾すること。

第二条乙は甲に対して金弐百萬圓の支払いをするものとする、ただし一括のみとする。

第三条・・・・・・・・




伝えたいことは一つだけだ
「別れたくないんだ、お願いだ」

「どうして?私と別れて大森恵美と結婚する約束までしているでしょ?」

呆れたような表情で有佳は言うが、一体なにを言っているのか・・・
「そ・・そんなことはしていない」


オレが否定すると、無言でパソコンを操作し始めた

ファイルをクリックすると音声が再生された。

「ねぇ、離婚はいつ成立するの?」

「あぁ妻がなかなか承諾してくれなくて」

「お前みたいなつまらない女はいらないって言ってさっさと判子を押してもらったら、性の不一致って言って」

「それだけじゃ離婚の理由にならないだろ」


「これは・・・」

「ごめんなさい、あなたが彼女の部屋に行った日にベルトの裏に盗聴器を付けさせてもらったの。離婚が待ち遠しかったんでしょ?」

「違うんだ・・・」
この時、最後には別れ話をしているはず、だがこの音声はその部分は編集されているのだろうか


「離婚を承諾してもらえない場合は調停をおこないます。その時はこのデータは提出できないのでもう一つ用意してます」

そう言うと有佳はもう一つのデータを再生する。

「なら、わたしもいいますけど、いったいいつになったら離婚するんですか?賢也くんがかわいそう」

「賢也がかわいそうとは?」

「性の不一致も十分な離婚の原因になるとおもいません?マグロ女じゃ賢也くんがつまらないって、だからわたしが慰めてあげてるの。それに、賢也くんもわたしと一緒にいたいのにマグロ女が離婚に応じてくれないって嘆いているのよ。かわいそうでしょ」

「マグロ女ってだれか分ってるわよね?お・く・さ・ま」
「だから、さっさと別れなさいよ」

「慰めるとはどういうこと?相談にのっていただいているということですか?」

「そんなだから、つまらないって言われるのよ。あなたとのセックスがつまらないからわたしとセックスしてるの。すごく気持ちいいって。妻とは味わえないって、わたしの身体がたまらないって、分った?」

「それは、賢也と身体の関係があり不倫をしているということを認めるんですね?」

「不倫なんて変な言いがかりを付けないで、わたしと賢也くんは愛し合ってるの。恋人同士だけど、たまたま賢也くんが結婚していただけのこと。だから、さっさと賢也くんを自由にしてあげて」


この音声の為に有佳は会社に来たんだ。
「違う,違うんだ・・・ちが・・」

「私はマグロ女ってヤツなんですね、でも私は賢也が初めての人だった。それは賢也も知っているはず、私はどうすればよかった?」

そうだ、どうして・・・有佳ともっと分かり会えるようにすればよかった。

「そんなに、大森恵美とのセックスは気持ちが良かった?それなら私に遠慮することはないです。子供だって大森恵美とつくればいい」

違う、そんなことは望んでいない
「好奇心だったんだ、大森さんに誘われて酒の勢いも手伝って、勢いでホテルに行ってしまった。そのあとは、断っても奥さんにバラすと言われてそれが怖くてズルズルと続けてしまったんだ。大森さんに好意はもっていないんだ」

「最低」

そうだ、最低だ。

スマホに着信を知らせるバイブが震えた。
チラリと見た画面には大森さんの名前が見える
こんな時に・・・すっかり当惑していると

「大森恵美さんからでしょ?」

今更嘘をついても仕方が無い、頷くことでかろうじて肯定できた。

「スピーカーにして電話に出て」

思いもしない言葉に汗がとまらない。
「でも・・」

「出て」
これほど強く声を出す姿を見たことがない、あわてて言われたとおりにした。


『賢也くん、もうっどうしてLINEも電話も返事がないの』

「連絡はしないでくれって言ったよね」

『奥さんが怖くなったの?でももうバレてるわよ』

「ああ、知ってる」

『それでね、示談書が届いたんだけど』

オレだけじゃ無かったのか、有佳をみると涼しい顔で頷いた。

『200万を払えって書いてあるんだけど、こんなに払えない。どうしよう賢也くん助けて』

すると、有佳がメモ書きを目の前においた
“あなたが払ってあげれば?”と書かれている。たしかに、長引かせるよりはいいのかもしれない。

「いくらまでなら払えるの」

『う~ん100万ならなんとかできると思う』

「それならのこりの100万はオレが出すよ」

『本当!良かった、これでまた会えるわよ』

「どういうこと?」

『条文に、慰謝料を支払ったら支払日以降の交際については自由とするって書いてあるの。それって、お金さえ払えば奥様公認の恋人になれるのよ』

「お金についてはまたあとで電話する」
頭を整理したくてあわてて通話解除ボタンをタップした。


「どういうこと?」

「不倫は二人で行った事です。お互い思い合って恋人気取りでいても、あなたは既婚者なんです。私は不貞者二人から慰謝料を支払っていただく権利があります」

「うん・・・それは、分ってる。本当にごめん、そこじゃなくて条文がオレのとは違うんだ」

「ええ、慰謝料を支払ってもらえれば好きにしていいし、賢也は今ここで離婚届にサインしてもらおうとおもっているからその文章は入っていないわ」

有佳は目の前に離婚届と印鑑を置いた。

「有佳、お願いだ。考え直して欲しい、もちろんオレはもう二度と有佳を裏切るようなことはしない。別れたくないんだ。愛してるんだ。どうか」

「私は、賢也に愛情を感じなくなってしまった。賢也に拒絶された夜、哀しくて悔しかった。もう決めたの」

「離婚を思いとどまってくれたら、オレは何でも言うことを聞くから。何でもする。チャンスが欲しい」

この結婚を続けていくためにはなんでもする。
椅子から降りると、オレは有佳に土下座した。

「お願いだ、やり直してほしい」

「あんなに大森恵美と結婚したがっていたのに」

「オレは有佳と別れて大森さんと結婚するなんて思っていないし、大森さんにも本命の恋人がいるんだ。お互い遊びのはずだったのに、どうして急にオレに執着するのかわからないんだ」
「お願いだ」

有佳はため息をつくと、テーブルの上を片付け始めた。
「月曜日の3時までに大森恵美の200万円を指定口座にいれてくれる?月曜日に入金確認ができればもう一度話し合いましょう。もし、入金確認ができなければ離婚調停をおこないます」

「ありがとう」
オレはいつまでも土下座をした。