待ち合わせの場所は和食懐石のお店で、まだ木の香りのする新しいお店だった。

名前を告げると奥の座席に案内され部屋に入ると、すでに桑原夫人が座っていた。
あわてて夫人の元へ行き正座をしてから深く頭を下げた。

「主人について処分を取りやめていただきありがとうございました」

「もう、そんなことはいいの頭を上げて席について頂戴」

「先日は手ぶらで申し訳ありません、お手荷物になりますがこちらをどうぞ召し上がってください」
そう言うとここに来る途中に購入した黒船のどら焼きを手渡した。

「あら、黒船」といって袋の中をのぞき込んでから「どら焼きね、取り寄せでは買えないからうれしいわ」と言って微笑んだ。

「それから、わたしは有佳さんとお友達になりたいの、だからかしこまった話し方はよしてね」

気さくな方でよかった。

「すてきなお店ですね」

「ここはね、同級生が先月オープンさせたばかりのお店なの。懐石料理って敷居が高くなってしまいがちでしょ、なのでお昼に懐石ランチで幅広く周知してもらうという狙いがあるらしいわ」

ランチとはいえ一日分のパート代が飛びそうな金額ではあるが器一つから上品で、盛り付けられた料理はまるで宝石のようだった。

デザートの葛餅を同級生だというシェフが直々に運んできた。
鼻筋が通って彫りの深い日本人離れした風貌だが優しそうな男性だ、桑原夫人と話をしてる姿は、桑原部長と並んでいるよりもしっくりして見える。

夫人はシェフに「彼女のおかげなの」と伝えるとシェフは一度軽く頭を下げたあとにっこりと微笑んでから「ごゆっくり」と言って部屋を出て行った。

「彼ね、わたしの初恋の人なの。父が社長というものをしていると大人の事情があってあの人とは一緒になれなかった。主人は父が気に入って婿にしているから、浮気くらいでは父を動かすことはできなかったけど、自分の愛人を部下と結婚、しかも部下を離婚させて結婚させようなんて鬼畜なことを企てた事についてはすごく父が怒っているのよ、離島の新部署なんて単に単身赴任先のアパートの一室よ」

夫人も別れを考えているんだ。

「わたし達には子供がいないから気が楽。有佳さんのところは?」

「いません、でも離婚届に判を押してもらえなくて、自分が家庭を壊したくせに自分勝手ですよね」

「離婚調停は?」

「そんなことに時間を使いたくないんです、なので慰謝料の支払免除と離婚をしないということの交換条件としてお互い自由にするということにしました」

夫人はぷっと噴き出してからお腹を押さえて笑い出した。

「最終的に離婚することを目標にして、次のあたらしい恋を始める為の授業を受けてるんです」

「授業?」

「ええ、主人が在宅しているマンションでエッチの授業です」

お茶を飲もうとした夫人は危うく噴き出しそうになり慌てて口元を押さえる。

「主人の浮気の理由がエッチだったので、今度はそういう失敗をしないようにいろいろと教えてもらうことにしたんです」

「あああ、それで。首元に痕がついているから、その人は恋人ではないの?」

「ふふふ、これすごいですよね」
「松崎さんは主人の前では公認の愛人ということになってますが、実際は師匠です」

「本当に有佳さんって面白い、またちょくちょく会ってくれる?」

「ええ、喜んで」

「わたしたちの新しい恋のために、たくさんお話ししましょう」