静日が自らの意志で龍泉閣に顔を出す。


それがどれほどの影響力をもつのか、どれほど幹部たちを喜ばせるのか。
果たして、静日本人に自覚はあるんだろうか。


いや、ないわけはない。


集会日は、皆が自分を待ちわびているとわかっていながら「だるい」の一言で予定を蹴るくせに

集会日でもなんでもない日に「おひさ、元気?」と突如現れたりする。


龍泉閣の構成員は毎度見事に振り回されているが、静日はそんな光景を面白がっているわけでもなく。
あくまで自分の気の赴くままに行動しているだけにすぎない。


自分が集会に参加しないことで皆を悲しませようとも思っていないし、自分がふらっと顔を出すことで皆を喜ばせようとも思ってない。


ゆえに……タチが悪い。

周りを振り回している自覚はあっても、“皇帝としての自分”が及ぼす影響にまったく興味がないからだ。


つまり、“龍泉閣がどうなろうと知ったことじゃない”。

これが、京静日の横暴なまでの気まぐれさの正体だったりする。