将棋会館のある千駄ヶ谷と違って、美澄の生活圏は田舎と大差ない。
むしろ、地方では大型ショッピングモールの影響で潰れたような小さな商店街が今も残っていて、馴染みのない美澄でさえ懐かしさを感じる。

夏至を過ぎたばかりで日暮れは遅く、終わらない夕暮れを歩いているようだった。
古びたアスファルトの割れ目から伸びたハマスゲが、濃い影を落としている。

三連敗は地獄の入口のようだ。
三局しかなかったから三連敗したけれど、もし五局あったら五連敗、十局あったら十連敗していたように思う。

将棋に運の要素は少ない。
相手のミスで運よく勝ちを拾うことはあっても、運悪く負けることはない。
負けるには理由があって、その理由がある限り永遠に負け続ける。

指すのが怖い。
今指したらきっと負ける。

胸の奥にあるラムネ瓶の中でビー玉がからん、からん、と音を立てていた。
抜け出したくても出られない。
出られそうな気がしても、出られない。
同じところをぐるぐるぐるぐる。
からん、からん。
それは、生きている意味があるのだろうか。

踏切の警報音は、こんな時でもはっきり聞こえた。
気づけばあたりは暗く、その中で点滅する赤いランプはすべての思考を蹴り飛ばして、我を見よ、と入り込んでくる。
左の遮断機が降り、右の遮断機が降りる。

踏切のほとりに立ってみると、頼りない棒一本隔てて、その先は黄泉へと通ずるように暗い。
かすかに聞こえた電車の音が、徐々に大きくなってくる。
まもなく、やってきた電車の車内照明が光の帯となって眼前に広がった。

『…………好きですることに、意味が必要ですか?』

あのときより車両の数はずっと多く、光の帯も警報音も永遠のように長い。
風にあおられた髪の毛が視界に入り、撫でつけるように押さえた。

『将棋は、進化し続ける者しか勝てない競技です』

『女流棋士を目指すとか、段位を上げる以前に、負けても悔しくても将棋が面白いっていう気持ち。それがあれば前に進める』

『終わりにしましょう。話になりません』

『努力が無駄になるのは当たり前ですからね』

潤みそうになる瞳を閉じても、赤色ランプの明滅はわかる。
眼裏に翻った青いシャツが、しょぼくれた背中を叩いた。

『だって、ずるいでしょ。『自分には才能がなかったんだ』『努力する才能もなかったんだ』全部言い訳できます』

『もっともっと努力してください。限界を感じたなら、それを越えてください。全力を出す、とは並大抵のことではありません』

遮断機が上がって、再開された往来に押される形で美澄も歩き出す。
踏切は少しだけ小高く、線路の真ん中に立ってみると、ゆるくカーブを描きながらどこまでも続いているように見えた。
その上を、水で薄めたような青空が夕闇に押されて地平に沈んでいく。

『頑張ってください』

唇の震えを、歯形がつくくらい強く噛んで止めた。

棋譜をまとめて馨と倶楽部に送る。
詰将棋。
棋譜並べ。
ネット対局。
棋書。
泣くより他にやるべきことはたくさんある。

『意味のないことに、意味のない人生をかけて、意味のない努力をする。でも、それでいいんじゃないかと、僕は思うようになりました』

この世界では勝つより他に解決策はないのだ。
そのために必要なのは意味ではなく、ただ真っ直ぐな努力だけ。

進む先に広がる夜空は、透き通って見えた。