こちらの気配に気がついた男はエオノラを見て目を丸くする。

「エオノラ!?」
「……っ、リック」
 そこにいたのは婚約者であるパトリック・キッフェンこと、リックだった。
 何が起こっているのか理解が追いつかない。
 さらに相手の令嬢へ視線を移すと、エオノラは鈍器で殴られたような衝撃を受けた。

「ア、アリア? どうしてあなたがリックと?」
 アリアはエオノラの従妹でホルスト男爵家の令嬢だ。
 妹のように可愛がっていた彼女がこんなことをするなんて信じられない。

 外からは軽やかな演奏が流れてくるのに、部屋の中は静まり返って空気はどんよりとしている。このままでは沈黙を貫かれて終わってしまいそうな気さえする。
 エオノラは唇を湿らせると言葉を絞り出した。
「二人はここで何をしていたの? アリア、彼は私の婚約者なのよ」
「わ、私……」
 エオノラはアリアが幼い頃から面倒を見てきたので、その性格はよく理解している。
 彼女は純粋で心優しい子で、エオノラを姉のように慕っている。従姉の婚約者を横取りするような子であるはずがない。

 厳しめな口調で追及するとアリアが灰色の瞳に涙を浮かべ、亜麻色の髪を揺らした。
「エオノラ、違うの。私、パトリック様があなたの婚約者だって知らなかった……」
 リックとの婚約は水面下で行われていて、正式発表するのはエオノラが十七の誕生日を迎えた日。すなわち、今日のパーティーの最後に招待客の前で発表する予定だったのだ。

 とはいえ、それは建前だけの話。恋愛ごとに敏感な社交界では誰が誰と婚約するのかは口にしないだけで、ある程度のことは事前に知られている。
 それは社交シーズン中の男女の出会いを無駄にしないためだ。婚約者のいない男女は社交界を通して自分に見合った相手を見つけなくてはいけない。効率よく相手を探すためにも事前情報を知っておくことは必須だ。