「あ、あれ? さっきまでここにいたんだけど」
「あの方、名前はなんて言うの? 踊っている時に少しだけ見たんだけど、とっても素敵そうだったわ」
 扇越しに、アリアがほうっと溜め息を漏らす。
「ごめんなさい。私も彼が誰なのか分からないの。お兄様と踊るはずだったんだけど、同僚に呼ばれていなくなってしまって。壁際に立っていたらさっきの親切な方がダンスを誘ってくれたのよ」
 エオノラが事実をありのまま伝えるとアリアが片眉をぴくりと動かした。

「もしかして、エオノラは私に彼を紹介したくないの?」
「そんなんじゃないわ。仮面舞踏会だから誰かはっきり分からなかっただけ。だけど心当たりはあるから、今度確かめてみようと思うわ」
「本当!? ねえ、分かったら私に紹介してくれない?」
「…………え?」
 思わずエオノラは眉を顰めた。
 踊ってくれた相手は恐らく未婚の男性だ。婚約者のリックがいるアリアに未婚男性を紹介するなんて常識的に考えても無作法である。

 ビジネス上ならまだしも、アリアはホルスト男爵の仕事の手伝いはしていないし、向こうが何のビジネスをしているかも分からない。
 正直なところ、紹介する理由が一つも見つからない。
「アリア、踊ってくれたあの人は親切心から私と踊ってくれただけよ。それにあなたの婚約者に未婚の男性を紹介したことが知られたら角が立つわ」
 エオノラが戒めるとアリアは灰色の瞳を潤ませてこちらを見つめてきた。
「そんなつもりで言ったんじゃないわ。エオノラと仲の良い人と仲良くなりたいだけなの」
 小動物のように身体を縮こませる姿からは、純粋にエオノラの友人と仲良くなりたいという想いが伝わってくる。
 自分が変に勘違いしてしまったと、エオノラは小さく息を吐いた。