エリート脳外科医は契約妻を甘く溶かしてじっくり攻める

 マンションまでの道中、思い切って尋ねる。

「迎えに来てくれるとは思わなかったからびっくりした。文くん今日仕事もあったのに、わざわざありがとう」
「いや。俺が勝手に思い立ったってだけだから」

 言葉少なに返されて、車内は静まり返る。
 ハンドルを握る文くんの横顔をこっそり見つめる。

 なにか怒ってる……? でも心当たりはない。疲れてるだけ?
 でもそれなら無理して来てくれなくても、まだ公共交通機関で帰れたのに。

 あ、だけど、二次会に行く羽目になっていたからタクシーだったかな……。その辺りから言っても、私的には文くんが迎えに来てくれて助かったけど。

 無言で文くんの出方を窺っていると、ぽつりと聞かれる。

「ミイの担当編集者って、あの男の人?」
「え? あっ、違う違う。さっきの女性の方で、隣にいたのはその人の同期なの」
「ふうん」

 再び沈黙が流れ、なんだか緊張してしまう。
 マンションまではまだ掛かる。ずっとこんな空気じゃ耐えられない。

 私は必死に話題を考えて、苦し紛れにさっきの出来事を口にする

「あの、あれだよね。やっぱり文くんのお家は名字が印象的だから、わかる人はすぐわかるんだよね」
「まあ、さっきみたいな反応は数えきれないほどあるな」

 彼の反応はわりと通常通り。
 特に怒っているわけではなさそうだと、ほっと胸を撫で下ろす。

 肩の力が抜けた私は、窓の向こう側のネオンを目に映しながら返した。

「私、文くんはすごいなってずっと思ってたの。自分の家の話題を出されても、まったく影響を受けていないでしょ?」
「いつものことだから」
「うん。だけど私、思ってたの。そういうのが重荷になる人はいるよね。親や周りの期待に応えなきゃならないから背負わなきゃならないって。……私がそうだったから」

 うちの両親は文くんの家と違って、大きな病院を経営しているわけじゃない。
 けれども、やはり父が医師、母が看護師となると、自然と娘の私も医療の道へ進むのが当たり前のように思われていたと感じることは多かった。

 両親から直接言われたわけではないのに、周りの声の影響は大きくて、学生時代の私はすごく思い悩んだ。
 その時に本音を聞き出してくれた文くんのおかげで、今の私がいる。

「だけど文くんは違う。私、知ってるよ。父親が医師だから自分は後を継がなきゃって考えて外科医になったわけじゃないって」

 文くんを尊敬しているのは、人の意志に流されることも影響されることもなく、いつだって自分の目で見て、感じて、将来を決めて頑張っているんだって知っているから。

 彼は昔から優しく、賢く、芯が強い人だった。

「小さい頃、ずっとそばで面倒をみてくれていたからわかるの。文くんの両親は今なお医療現場の最前線で働いている人たちだから、自然と命の尊さや儚さ、現実の理不尽さ、苦しみを間近で感じて育ってきたんだよね。それは私も少しならわかるつもり」

 両親が家で業務上の話題を避けていたって、子どもながらに空気を察する。

 親身になっていた患者さんが回復を見込めなくなったり、そういうつらい雰囲気は自然とわかってしまうものだ。

 常に生と死の隣で健闘する両親は誇りであり、苦しくもあった。
 それは似た家庭環境の文くんだって絶対に同じはずだった。

 それでも彼は私とは違って、強い。