その夜。
十一時を過ぎた頃、玄関が開く音がした。
もうそろそろ休もうかと思っていた私は、ちょうど洗面所から出たところでそのまま玄関へ足を向ける。
「おかえりなさい」
曲がり角からひょこっと顔を覗かせて声をかけると、文くんは思いの外疲れている様子で驚いた。
「つ、疲れてるね……仕事大変だった?」
「いや。今日のは余計な疲労だ」
眉間に深い皺を刻んで答える彼は、ちょっといつもと雰囲気が違う。
私は動揺を隠して明るく振る舞った。
「あ。ご飯食べる? 用意しようか?」
「今日は大丈夫。ごめん。余った分は明日の朝もらうから」
即答で断られるも、ちゃんとフォローしてくれるところは文くんらしい。
だけど、自分が疲弊してる時にもそうやって私へ気遣いさせているのが心苦しい。
それに……本当に疲れてるだけなんだよね? もしかして具合が悪いとかだったら心配だよ。
一緒に生活し始めて約三週間になる。医師だから激務だというのはある程度知ってはいたつもりだけど、こんなに多忙とは思わなかった。
彼の身体が心配だけれど、仕事だから仕方がない部分がほとんどだし、家族でもない私が無責任になにかを言える立場にはないっていうのは承知している。
それでも、疲労の色を滲ませている彼を目の当たりにすると、もどかしい思いが込み上げてくる。
なにもできず、言えずに静かに文くんのそばに立っていたら、ソファに座った彼が私を見上げて力なく笑った。
「そんな顔しなくても、体調が悪いとかじゃないから大丈夫だよ。今日は学会の後の飲み会の場がちょっとね」
「飲みすぎたの?」
安堵するのも束の間、飲みすぎた際の処置の方法がすぐには浮かばない。
「いいや。飲む気にもならないさ。早く帰ってきたくて。ミイの作ったご飯の方が全然……」
文くんははっとして口を噤み、ばつが悪いといった表情を浮かべて謝った。
「悪い。別に当たり前だと思ってるわけじゃないから」
「ううん。うれしいから平気。……ほら! やっぱり美味しいって思われるのは作り甲斐もあるし」
初め、うっかり本音を返してしまったのちに、慌てて理由を後付けしてごまかした。
だって、食事を用意するのとか迷惑かもしれないって思っていたから、外食よりも~なんて言ってくれると嬉しくなっちゃって。
緩む顔をどうにか引き締めていると、文くんは項垂れて大きなため息を零す。
「はー。いくつまで聞かれるんだろ。『結婚は考えてないのか』って」
「え……」
私は彼の旋毛を見つめ、無意識に声を漏らしていた。
「今日は、昔お世話になった教授もいて……娘はどうかとか、いい女性の部下もいるとか、そんな話が長くて」
頭の中が真っ白になった。
自分でも驚いている。
まさか文くんの縁談の話を聞いて、ここまで衝撃を受けるなんて。
十一時を過ぎた頃、玄関が開く音がした。
もうそろそろ休もうかと思っていた私は、ちょうど洗面所から出たところでそのまま玄関へ足を向ける。
「おかえりなさい」
曲がり角からひょこっと顔を覗かせて声をかけると、文くんは思いの外疲れている様子で驚いた。
「つ、疲れてるね……仕事大変だった?」
「いや。今日のは余計な疲労だ」
眉間に深い皺を刻んで答える彼は、ちょっといつもと雰囲気が違う。
私は動揺を隠して明るく振る舞った。
「あ。ご飯食べる? 用意しようか?」
「今日は大丈夫。ごめん。余った分は明日の朝もらうから」
即答で断られるも、ちゃんとフォローしてくれるところは文くんらしい。
だけど、自分が疲弊してる時にもそうやって私へ気遣いさせているのが心苦しい。
それに……本当に疲れてるだけなんだよね? もしかして具合が悪いとかだったら心配だよ。
一緒に生活し始めて約三週間になる。医師だから激務だというのはある程度知ってはいたつもりだけど、こんなに多忙とは思わなかった。
彼の身体が心配だけれど、仕事だから仕方がない部分がほとんどだし、家族でもない私が無責任になにかを言える立場にはないっていうのは承知している。
それでも、疲労の色を滲ませている彼を目の当たりにすると、もどかしい思いが込み上げてくる。
なにもできず、言えずに静かに文くんのそばに立っていたら、ソファに座った彼が私を見上げて力なく笑った。
「そんな顔しなくても、体調が悪いとかじゃないから大丈夫だよ。今日は学会の後の飲み会の場がちょっとね」
「飲みすぎたの?」
安堵するのも束の間、飲みすぎた際の処置の方法がすぐには浮かばない。
「いいや。飲む気にもならないさ。早く帰ってきたくて。ミイの作ったご飯の方が全然……」
文くんははっとして口を噤み、ばつが悪いといった表情を浮かべて謝った。
「悪い。別に当たり前だと思ってるわけじゃないから」
「ううん。うれしいから平気。……ほら! やっぱり美味しいって思われるのは作り甲斐もあるし」
初め、うっかり本音を返してしまったのちに、慌てて理由を後付けしてごまかした。
だって、食事を用意するのとか迷惑かもしれないって思っていたから、外食よりも~なんて言ってくれると嬉しくなっちゃって。
緩む顔をどうにか引き締めていると、文くんは項垂れて大きなため息を零す。
「はー。いくつまで聞かれるんだろ。『結婚は考えてないのか』って」
「え……」
私は彼の旋毛を見つめ、無意識に声を漏らしていた。
「今日は、昔お世話になった教授もいて……娘はどうかとか、いい女性の部下もいるとか、そんな話が長くて」
頭の中が真っ白になった。
自分でも驚いている。
まさか文くんの縁談の話を聞いて、ここまで衝撃を受けるなんて。



