エリート脳外科医は契約妻を甘く溶かしてじっくり攻める

 文くんに対しての想いは、なにか大きなきっかけがあったわけじゃない。
 これまで少しずつ積み重なってきたもの。些細な日常での事柄が主だ。

 幼少期には無条件で私を守ってくれていたし、小学校低学年の頃も、気にかけてくれたりした。

 例えば、学童に行きたくないとごねた私の気持ちに寄り添ってくれたり。

 当時の私は学童の先生や友達も好きだったが、それ以上に自由に読みたい本を読み、静かな空間で空想に耽る時間がなにより好きだった。

 けれども、『仕事してくれている両親を困らせたらいけない』とも思うと、本音を正直に親や先生に伝えていいものか、どう切り出せばいいか、どんな言葉がいいか……わからないことだらけで、ひとりで抱えて毎日モヤモヤしていた。
 そこに、当時近所に住んでいた文くんが私の様子に気づいて声をかけてくれたのだ。

 私はこちらからサインを出していたわけでもないのに、悩んでいることに気づいてくれたのがうれしくて仕方なかった。
 自分から言い出すのが難しかったから、向こうから優しく聞いてくれたのが幼心に救われた思いだった。

 私の両親は決して冷たくはなかったけれど、忙しさからかゆっくり話を聞いてもらえる気がしなかったのもあって、以降、相談相手は文くんになっていた。

 一番は、進路を選択する時期。

 両親ともに医療従事者という環境下の私は、周りから両親と同じ道を志すのが当然といった空気がプレッシャーだった。
 しかし、実際には理数系の成績はお世辞にもよくなくて、たまに文くんが教えてくれたりもしたものの、大きな成果はなく……。

 医師どころか看護師も難しいと自分でわかっていても、幼少期から母親が友人などと『夫が独立したら娘と家族で働くのも楽しそう』と話をしていた記憶が残っているがゆえ、がっかりさせたくない一心で進路は『看護系』から変えられずにいた。

 その時も、ちょうど家族同士での集まりに、初期研修を終えて若干余裕ができたと参加した文くんに相談した。

 彼はどんなときも決して頭ごなしに否定しないし、こちらの気持ちを一度受け入れてくれる。それから、客観視しつつ助言をくれる。

 私にとっては彼は、親よりも緊張せずに相談できて、すごく頼れる絶対安心の境地。

「だから今回も……いや、今回の件も『なに言ってるの』って笑い飛ばしたり拒否するのが普通だと思ってたのに……本当にびっくりしたんだよ。こんなお願いも受け止めてくれて」

 文くんの優しさは私が特別なわけじゃないって、ずっと自分に言い聞かせていた。それは今も変わらない。

 自惚れたらいけない。彼は元々思いやりのある人で、きっと私じゃなくても――。

「俺だって、誰でも受け入れてたわけじゃない」

 文くんの凛とした声に自然と顔が上がる。