エリート脳外科医は契約妻を甘く溶かしてじっくり攻める

 そして祝日。

「お母さん、ちょっといい?」

 和室でアイロンをかけている母のもとへ行き、父に気づかれないようにさりげなく襖を閉める。

「なに? そんな怖い顔して」

 母は目を丸くして私を見上げている。私が神妙な顔つきでいる理由もまったくわからない様子だ。
 私は母の向かい側に座り、口を開く。

「ここ数日、私が近所を歩いてたら……言われるんだけど」
「え? なにを?」

 母はとぼけてるのか、本当にわからないのかきょとんとした顔で聞き返してくる。

 察してくれたら一番楽だったのに。自らまた現実にいもしない彼氏の話をしなければならないのは正直つらい。

 それでも、もう後には引けないから開き直って答えた。

「私に彼氏ができたって話」

 ボソッとくぐもった声で言うと、母は僅かに眉根を寄せた。

「お母さんにしか言ってないの。だから、出どころは絶対にお母さんしかありえない。なんでわざわざ近所の人に広めるの!」

 手元に視線を落とし、勢いづけて責める。
 今さらこんなふうに責めたって、現実が変わるわけじゃない。
 だんだん冷静になってきて、居た堪れない気持ちになった。

「近所の人に広めたりしてないわ」
「えっ。でも現に私、もう三人に言われたんだよ?」
「私は……そういえば、うちのクリニックに子供を通院させている同じ町内の患者さんとそういう話題になって、やんわりと彼氏ができたっぽいって答えたくらい。あとは本当に記憶にないのよ」

 アイロンを元の位置に戻して手を休め、思い返しながら話す母を見る。
 元々母は嘘を吐いたりしないし、今回も本当なのだろう。

 それに、今の話を聞いて思った。噂話って、時々信じられないくらい驚異のスピードで広まる。不運にも今回はそれに当てはまったのだ。

 そう考えたのにはちゃんと理由があって、近所の人たちは〝近所のクリニックの院長の娘〟の話題なだけで大いに盛り上がると予測できたから。

 まあこれまで悪意のある噂はなかったし、両親がもう二十年近く地域に密着したクリニックを経営しているのもあり、有名税に近いものだから仕方がない。

 とはいえ、本当は事実と異なるんだけど……。いや。これについては私が自ら始めた嘘だから肩身が狭くなっても文句は言えない。

 身体の奥から気だるげなため息が漏れ出る。

「そう。わかった。疑ってごめん」

 頭を下げていたら、母の声が落ちてくる。