エリート脳外科医は契約妻を甘く溶かしてじっくり攻める

 焦りに任せて考えるよりも先に口が動いていた。

 心臓がバクンバクン鳴ってるのがわかる。自分が大それたことを言ったって自覚している証拠だ。

「いるって、なにが?」

 母は神妙な面持ちで尋ねてきた。
 私は母の視線から逃れられず、少しの間沈黙する。

 どうしよう。どうしよう。

 頭の中は混乱していて、唯一浮かんだのが文くんの顔。
 気づけば俯いてきつく瞼を閉じ、心の中で謝っていた。

 文くん、勝手にごめんなさい……!

「あ……相手、が。私、最近付き合い始めた人がいる、から」

 たどたどしく答え、ちらっと母の反応を窺うと、茫然として固まっている。束の間しんとして、自分の胸の音の激しさをいっそう感じた。

「ええっ! 本当なの!?」

 時間差で叫び声が上がり、私は咄嗟に背筋を伸ばした。

 こんな年になっても嘘をつくことになるなんて。

 私は罪悪感を抱きつつも、こくりと一度頷いた。

「どこで知り合った人? 前の職場の方?」
「ど、どことか……いや、前の職場では……」
「え? じゃあどこ? だって中高は女子校だし……まさか小学校の? だけど、今まであまり小学校のお友達と会ったって話は聞かなかったのに」
「い……いいじゃない、その辺のことは」

 たじろいだ私はふいと顔を背け、涼しい顔を作って料理の続きを始めた。
 包丁で野菜を切る一定のリズム音で少し気持ちを落ち着ける。

 冷静に考えたら、別に敢えて相手が誰とか言わなければいいんじゃない? とりあえず付き合っている人がいるって思ってもらえればいいだけなんだから。うん、そうだよ。

 若干気が軽くなれた矢先、母が満面の笑みで隣へ詰めてくる。

「あ。だったら今度うちに呼ぶのはどう? お母さん会ってみたいし」
「えっ!」
「大丈夫よ。もちろん、初めはお父さんが仕事でいない日を選ぶから」

 笑顔の圧力がすごい。ここまで〝私の彼氏〟に食いつくとは……。よっぽど将来の心配をされているんだな……。

 確かに、母と比べたら職も安定しているとは言い切れない。そのうえ、どうしてもまだ世の中では〝女性は結婚したほうが〟って雰囲気も色濃いため、やっぱり結婚して安心したいんだろう。

 私だって、自分が将来ひとりでも生きていけるかって考えたら不安だもんね……。
 だけど、とりあえずその件は一旦置いておいて、まずはこの場を切り抜けるのが先決!

「そんな日ないじゃない。お父さんが仕事の時はお母さんだって仕事でしょ」

 ふたりで同じクリニックに勤めているのだから、父がいない時間など今日みたいにほんの僅か。
 これで母も渋々引き下がると思っていたら、嬉々として言われた。