恋の終わりは 【恋に焦がれて鳴く蝉よりも・番外編】

 自分の手を離し、キッチンへと向かった
彼の背中。あの時はそう感じなかったが、
今思い返してみれば彼の背中は自分を拒絶
していたように、思う。決して、彼の愛情
を拒んだわけではなかったのだけど……
 
 少しでも他の誰かを想いながら、彼の腕
に抱かれるのは嫌だった。
 けれど、その気持ちを言葉にするのは、
上手く伝えるのは、難しかった。

 紫月は目を閉じたまま、小さく息をつく。

 もしかしたら、彼に冷たくされてしまう
かも知れない。もう、好きではないのだと、
いつまでも失くした恋を引きずる自分など
要らないのだと、そう告げられるかも知れ
ない。そうなったら……

 自分は一久を諦めた時よりも、辛い思い
をすることになるだろう。

 けれどそれが怖いからと言って、このま
ま彼を諦められるほど、紫月の想いもまた
小さくはなかった。

 目を開けると、そこは見知った風景に変わ
っていた。彼のいるホテルまでは、あと数分
で着くだろう。紫月は身体を起こし、鞄から
財布を取り出すと、運転手に渡すチップを
用意し始めた。









 中世の煌びやかな宮殿を彷彿させるような
豪華なホテルのロビーに立つと、すぐに入り
口付近にいたコンシェルジュが声を掛けて
きた。ご予約の名前を伺っても?と、訊ね
てきたその男性に少し迷って宿泊客ではない
ことと、オリバー・スミスさんに会いに来た
と告げる。すると意外にも、彼はにこりと
品の良い笑みを向け、

 「Are you Miss Sizuki Akimoto? 」
 (あなたは秋元紫月さんですか?)

 と、紫月の名を口にしたのだった。

 紫月が驚いたように目を見開き、頷くと、

 「I‘ve been expecting you. This way,
please.」
 (お待ちしておりました。どうぞこちらへ)

 そう言って、紫月のスーツケースを引き
エレベーターへと歩き始めてしまう。

 すんなり取り次いでもらえると思ってい
なかった紫月は、一瞬、呆気に取られたよ
うにぼんやりとしてしまい、慌ててヒール
の音をさせながら、彼の背中を追いかけた
のだった。

 そうしてエレベーターを3階で降りる。
 すると彼に連れてこられた場所は、ホテル
の広い中庭だった。

 見覚えのあるその中庭を見、紫月は鼓動
を早くさせる。

 両開きの綺麗なガラス戸を開け、コンシェ
ルジュの男性は、中庭の奥の方を指差し、
にこりと微笑んだ。

 小さく頷き、紫月は中庭に足を踏み
入れる。

 美しい花々と鮮やかな緑が溢れる、その
場所。ここを歩くのは数年ぶりで、ステン
ドグラス風のガーデンセットや小さな噴水
が懐かしい。そして、緩くカーブを描く
歩道を歩けば、目隠しのような木々の向こ
うにベンチがあった。

 その前に立ち、自分を見つめる人影が
ひとつ。

 紫月はその人を見つけた瞬間、大きく
鼓動を鳴らした。




-----レイが自分を見つめていた。



 その瞳はどこまでも優しく、慈しむよう
に紫月に向かって両手を伸ばしている。