恋の終わりは 【恋に焦がれて鳴く蝉よりも・番外編】

 「やっと、名前呼んでくれたね」

 そのひと言に、じん、と胸の奥が震えて、
紫月は手にしていた大根の根を握りしめる。

 「……そう?名前、呼んでなかったかしら」

 紫月は、おぼろげな記憶を辿りながら、
務めて自然に言った。

 「呼んでないよ。ずっと『あなた』だった。
だから、いつ僕の名を呼んでくれるか……
待ってたんだ」

 そう言って、レイが紫月の髪に頬を寄せる。
 被っていた麦わら帽子は、バランスを崩し
た時に頭から落ちている。紫月は僅かに身体
を硬くした。

 「……ねぇ、もう一度呼んで」

 ねだるように、甘やかな声でそんなことを
言うので、紫月は思わず肩を震わせる。
 心臓はどきどきと、早鐘を打っている。
 ただ、名前を呼んだだけなのに、どうして
彼はこんなにも悦ぶのだろう?
 紫月はそのことに当惑しながらも、
その名を呼んだ。

 「……レイ」

 「もう一回」

 「レイ」

 声が掠れてしまわないように、
震えてしまわないように、彼の名を呼ぶ。
 けれどそれでも足りないのか、レイは
さらに「もう一回」と、紫月にねだった。

 「もう!何回も言わせないで」

 さすがに恥ずかしくなって、紫月は大根
を持ったまま、レイの胸を押しのける。
 強い力で、泥だらけの大根で胸を押すと、
あはは、と、いつもの笑い声が聞こえた。

 「紫月って案外素直だね。可愛いよ」

 「揶揄ったわね!“案外”は余計でしょ」

 熱くなってしまった頬を膨らませて、
紫月は可笑しそうに笑うレイを睨む。

 けれど数秒後、その視線を彼の服へと
動かした紫月は、「あっ」と声を上げた。

 「やだ!服が泥だらけだわ!」

 持っていた大根と、自分たちの白い服
とを見比べ、互いに目を丸くする。

 白のパーカーと、白のカットソー。

 考えてみれば、どちらも“汚れてもいい
服装”とは、言い難かった。

 「これ、洗濯して落ちるかしら?」

 「泥汚れは難しいかもね。残念」

 両手で天を仰ぎながらそう言ったレイ
がなぜか面白くて、二人でくすくす、
と笑う。何がそんなに面白いのかわから
なかったが、それでも、とにかく楽し
かった。二人はひとしきり笑うと、思い
出したようにまた大根の収穫を始めた。




 沢山の人参と大根をカゴに詰め、白菜
畑にも立ち寄る。そこでは、大きな白菜
をひとつだけ包丁で切り離し、重ねて
あったもう一つのカゴに入れた。

 「さて、そろそろ戻ろうか」

 収穫した野菜を両手に、そう言ったレイ
は、どこからどう見ても農家のお兄さん
だったが、真っ青な空を背に微笑を向ける
彼はやはり凛として美しく、紫月は胸が
高鳴るのを意識しながら、頷く。

 「お腹空いちゃった。早く自分で収穫
した野菜、食べたいわ」

 歩き出した彼と肩を並べそう言うと、
レイは誇らしげに笑みを深めたのだった。