「おっ、噂のジェシカ・ミッドロージアン嬢じゃないか?」

悪友の声に反応して辺りを見回してみれば、彼女がいた。今夜はブルーのドレスを身にまとっている。胸元は限りなく白いに近いブルーで、裾へ向かうにつれて色味は濃くなり、濃紺の色だ。落ち着いた色味ではあるが、細かな宝石がつけられているのか彼女が動くたびに煌めく様子が美しく、彼女によく合っていた。
その横には父親ではなく、やけに大人びた、それでも少年だとわかる男が付いていた。彼は鋭く辺りを見回しながら、まるで番犬のようにさりげなくジェシカを守っている。

「あれは……弟だったかな? 確かまだ未成年のはずだったが……」
「前回は父親が付き添っていた。都合が悪かったのかもな」

婚約者もいないようだし、やむを得ず彼がエスコートしているのだろう。
この夜のジェシカは、何人かの男とダンスをしていたようだが、時折視界に入る彼女は少しも楽しそうには見えなかった。
けれど、続く申し込みを断ることなく応じていく。その様子を、弟がじっと見届けている。おそらく、前回のこともあって父親から見張っているように言い渡されているのだろう。

しばらくするとさすがに疲れたのか、二人はそろってドリンクを手に休憩していた。ここで、またもや前回の二の舞かと思ったが、ジェシカが手にしたのはあくまでドリンクだけ。恨めしそうに料理を見ていたが。

困ったことに、番犬のようだった弟が、このタイミングでジェシカから離れてしまった。
これはまずいことになるかもしれない。ジェシカの方を虎視眈々と見つめる男達は、あんな騒動があったとはいえ、今夜も少なくない。友人との会話を切り上げて、さりげなく彼女に近付いておくことにした。

そして、その後見た光景は、私の想像の斜め上をいくものだった。
ドレス姿のご令嬢が、靴を脱ぎ捨てて木に登るものだろうか? いや、そんなわけがない。ジェシカが病弱でないことは、前回の食べっぷりでわかっていたが、まさか木に登るとは、とんだじゃじゃ馬だ。
私が声をかけたことに驚いた彼女は、ストンとこの腕の中に落ちてきた。あれだけの料理をぺろりと平らげていた姿を見ていたせいか、予想外の軽さに内心驚いた。しかし、決して病弱で痩せているという雰囲気ではない。器用に木に登っていたあたり、普段から体を動かしているのだろうと納得した。

その後、ロジアン夫人とスイーツを楽しむ姿は、まさしく前回の彼女と同じだった。夫人も彼女に合わせていたのだろう。本来マナーに厳しい女性のはずが、まるで少女にもどったかのようにはしゃいでいた。

私やロジアン夫人の存在があったせいか、他の者は気になるけれど声をかけられないという様子。そこへ堂々と近付いてきたのが、弟のオリヴァーだった。

なるほど。私は思い違いをしていたようだ。彼は父の代わりの番犬などではない。姉を守る立派なナイトだ。
とはいえ、悪から守っているだけではないとすぐに察した。姉のジェシカが、令嬢らしからぬ言動をさらしてしまうことからだ。

もちろん、ジェシカのためにも木に登ったことは、ロジアン夫人共々隠し通しておいた。姉に対していささか厳しいようであったが、オリヴァーが心からジェシカを愛していることは、言葉の端々から伝わってきた。
彼の語るミッドロージアン家の現状にはやや驚いたものの、貧しい状況下であっても、明るく前向きに育ったとわかるジェシカは、たとえ令嬢らしからぬ言動をしていたとしても、自分には少しまぶしく思えたほどだ。同時に、オリヴァーが領主となる頃、きっとその賢い頭脳を生かして、すぐにでも領地を立て直してしまうのだろうと確信していた。