それは二年前のこと。
エーズワール王国では、近年まれにみる自然災害に見舞われていた。
ミッドロージアン伯爵の治める領地も例外ではない。長く続いた大雨に、領地のほとんどが農地だったミッドロージアン領は、その年ほとんどの作物が収穫できなくなってしまった。

もちろん、備蓄してある食料はあったが、とてもそれだけで賄えられるような状態ではなく、領民達は途方に暮れていた。

そこでマーカスは、一つの決断を迫られていた。

迷惑ばかりをかけ続けてきた、長女のジェシカ。本来、貴族の令嬢ならばするはずのない、掃除や洗濯も、自ら進んでやってくれる。弟妹達の世話もだ。
いつも他者を優先し、自分のことなど顧みることのないジェシカ。せめて、デビュタントだけは豪華に着飾らせて送り出してやりたいと、父マーカスは秘密裏にコツコツとお金を貯めていた。できる限り豪華なドレスに、今まで買ってやれなかった宝石。この時ぐらいは、親として用意してやりたい。その日だけはジェシカが主役になれるようにと、マーカスは計画していた。

しかし、背に腹は代えられないこの状況下で、そのような贅沢をさせてもよいのか。
親としてはもちろん、予定通りにジェシカにお金を使いたい。だが、領主としては微々たるものだとしても領民のために使うべきだと、頭を悩ませていた。このお金があれば、もっとも必要な来年のための種や苗が買える。今年、収入が得られそうにない中、それはなによりも重要な問題だった。

「お父様。私はかまいませんよ。むしろ、迷う理由がありません。このお金は、領民のために使うべきです」

父の悩みを知ったジェシカは、それが当然とでもいうように一切迷うことなく父に進言した。それは強がりでも染みついた節制根性でもなく、心からの言葉だった。
父と母が守ってきたこの領地、領民のために使われるのなら、それがたとえ自分のデビュタントのための資金であったとしても、ジェシカにとっては本望だった。

弟のオリヴァーが父からこの領地を継ぐ時まで、なんとしてもここを守らなければならない。
賢いオリヴァーのこと。彼が領主となった時、ここはきっと見違えるような変化を遂げるはず。父にはそういう才がないのは、ジェシカにもわかっていた。だから今すべきなのは、細々でもこの生活をつないでいくことだ。それがジェシカの目標だった。

「ジェシカ……すまない」

涙を流したのは、マーカスの方だった。一年遅れてしまうけれど、来年は絶対に……そう誓ったマーカスだったが、大金がそう簡単に貯まるはずもない。その上、被害の立て直しの費用も思いの外かさみ、結局翌年もジェシカは、小さな夜会ですら一つも参加できなかった。

「お父様、気にしないでください。夜会に参加できないことなんて、ほんの小さなことです。それよりも、領地を立て直すことのほうが大事ですから」