その人はいつもの場所で、畳に横になって眠っていた。

昨晩私の持ち出した浴衣が、まだ部屋の隅に転がっている。

それをかけてやろうとして、手を止めた。

枕代わりの座布団を持ち出すと、その人の隣に横になる。

かけ布団にする薄手の浴衣を、自分と晋太郎さんとに併せてかけた。

庭の桔梗は静かに咲いている。

私はそっと目を閉じる。

夕立が空を駆け抜けていく喧噪に目を覚ました。

花は強い雨に打たれている。

部屋には誰もいなくて、頭はぼんやりとして、きちんと働かない。

急に肌寒さを感じて浴衣にくるまった。

雨の音以外は何も聞こえなくて、この世に自分一人だけが取り残されたみたいだ。

しばらくして降りやんだ雨と、動き出した人々の声が遠くに聞こえて、ほっと胸をなで下ろす。

よかった。

私は一人じゃない。

「目が覚めましたか」

晋太郎さんの声に、我に返った。

「どこへ行かれていたのです?」

「ん? ちょっとね」

私の隣に座ると、強い雨に打たれたばかりの桔梗の庭を眺める。

「あぁ、通り雨ですね。寒いのですか?」

首を横に振る。

頭がぼんやりとするのは、きっと雨だけのせいじゃない。

そのまま動かなくなってしまったこの人の隣で、同じように庭を見た。

雨のたっぷり降り注いだ後の、強い日差しの戻った庭で緑の葉は輝いていた。

「戻ります」

そう言って立ち上がる。

肌掛けにした浴衣を持ったまま、うっかり部屋を出てきてしまった。

これは後で返しておこう。

晋太郎さんの隣で寝ていた行為に恥ずかしさが急にこみ上げてきて、小走りになる。

浴衣を部屋に放り込むと、大真面目な顔をして掃除を始めた。

それから数日が経ったある日、珍しく客間に呼ばれ、何事かと顔を出す。

「お兄さま!」

「志乃、元気だったか?」

待っていたその客人に驚いた。

隣には鶴丸の姿も見える。

「まぁ、元服していたのですね!」

鶴丸は同じ寺子屋で学んだ幼なじみだ。

私の顔を見るなり、うれしそうにニッと笑った。

「はい。志乃さまも、お元気そうでなによりです」

「今は、なんとお呼びすればよろしいか」

元服したのならば、改名した新しい呼び名があるはずだ。

「今はまだ、そのまま『鶴丸』とお呼びください」

鶴丸はクスッと笑った。

嫁入り前に時が戻ってゆく。

「兄上たちはどうしてこちらに?」

「吉之輔さまへの、父からの使いです。よい機会だと思うて、鶴丸も連れて参りました」

「お義父さまの?」

兄はうなずく。

「お盆には戻ってきて、家で泣き言を並べるかと皆で噂しておりましたのに。おかげで私は賭けに負けてしまいました」

変わらぬ朗らかな笑顔に、胸の奥が温まる。

兄の姿をこの家の風景で見ることに、不思議な違和感を覚えた。

「皆、元気に過ごしておりますか?」

母や仲のよかった奉公人とは、時折文のやりとりしている。

それでもこうして顔を合わせ互いの無事を確認しあうことが、どれほどありがたいことなのかと気づかされた。