ぐっとくちびるを結んだのち、俺は力を込めてチャイムを押した。
ピーンポーン、と小さく鳴った平和な音。
音がすっかり消えてしばらくしてから、玄関のドアが開いた。
「あ……」
思わず短い声が漏れる。出てきたのは、初老の男性だった。
母親よりもひと回り以上年上のように見えるその人に、俺はあわてて礼をする。
「初めまして。本日お約束しました、雨夜涼です」
「野坂浩一郎です。来てくださりありがとうございます」
俺がしたものよりもずっと深く礼をして、初老の男性ーー野坂さんは、感謝の言葉を述べた。
仰々しいほどの対応だ。玄関に通してもらい、持ってきていた手土産の菓子を渡す。
「これ……つまらないものですが」
「気を使わせてしまって。申し訳ないです」
また礼をして、俺から紙袋を受け取る野坂さん。厳格そうな風貌なのに、とても腰の低い人だ。
その野坂さんに「こちらにどうぞ」と案内されて、リビングに入らせてもらう。
白い壁に、パイン材のテーブル。カーテンは、落ち着いたダークトーンで花柄の刺繍がほどこされたもの。
そんな品のある空間の中に……母親の姿はなかった。


