朝日は大学生のとき、サークルの先生に勧められ、心療内科に1人で行ったことがあると私に教えてくれました。正直、その話を聞いたときはショックでしたが、何が原因だったのか、何に追い詰められていたのか、全く分かりませんでした。そして、軽く話す朝日を見て、今はもう大丈夫だったんだと話の追求もしませんでした。年頃の子に内容まで聞ける勇気はありませんでした。でも育児を妻に任せきりだったため、学費やお小遣いはわがままを言っても、必ず支払いました。それしか、私にできることが無かったからです。

………朝日の死を見たときは嘘やろと目を疑いました。まさかうちの子が…と。床には新聞紙とバスタオルと毛布がたくさん敷かれていて、太もものあたりまで黒いゴミ袋で覆われていました。片付けをしやすい様に朝日なりに考えてした行動なんやと今になっては思います。私の転職した仕事が忙しくて2階に上がることが少なくなって、漂う腐敗臭にも全く気が付きませんでした。

朝日の遺書には死ぬ理由なんてひとつも書かれてなくて、ただ淡々と私が朝日の亡き後、しなければならないことが書かれていました。
もう伝えたいことも、分かって欲しいこともないと朝日は言っていましたが、もっと早く、教えてくれれば良かったのにと思います。やるせない気持ちになりました。