ナタリアが一歳になってまもなく、前世の記憶が戻る直前のことである。
アビーとドロテの目をかいくぐり離宮から逃げ出したナタリアは、森の奥地で、生まれて初めてリシュタルトと遭遇した。
そのときのリシュタルトは、獣化していた。
どうしてあのときリシュタルトが獣化した姿であの場所にいたのかをナタリアが知ったのは、ずっとあとになってからのことだった。
リシュタルトとふたりで散歩中、一度だけあの場所に連れて行かれたことがある。
そのとき、辺りには一面に菜の花が生い茂っていた。
城の片隅で人知れず黄色い花々が咲き誇っている様子は、心が洗われるような美しさで、ナタリアは思わず『わぁっ』と叫んで瞳を輝かせた。
『きれいな場所ですね!』
『ああ』
あたたかな風に銀の髪をなびかせながら、リシュタルトがどこか遠い目をした。
『昔、獣化がうまくできなくてな。十五歳頃だったろうか、よくこの場所でひっそり獣化の練習をしていた』
『そうだったのですね。お父様、いつもスムーズに獣化なさるから、獣化って簡単にできるものだと思っていました』
『コツをつかむまでは、案外難しいものだぞ。レオンも苦労したものだ。だがレオンが獣化できるようになったのは七歳くらいだったから、俺よりは早かった。俺は十三歳でようやく獣化できるようになったからな』
知らなかったリシュタルトの過去話は、ナタリアにとって新鮮だった。
何もかも器用にこなしているイメージだったが、彼でも苦労することがあったらしい。
沈黙のあと、ふとリシュタルトが口を開く。
『――練習のおかげでようやく獣化が安定してきたころ、この場所で子供の狼に会ったことがある。仔犬のように小さい狼だった』
『子供の狼がこの場所に?』
ナタリアは首を傾げた。
狼やドラドは獣保護区にいるので、まず出会うことはない。
野生種ならまれに出くわすことがあるが、巨体の彼らでもさすがに城の外壁を超えて入ってくるの至難の業と思われた。
子供の狼は、どうしてこんなところにいたのだろう?
『俺とよく似た銀色の毛並みを持つ狼だった。咄嗟に感じたよ、こいつは俺と同じ血が通っているって』
『お父様と同じ血?』
イサクからすでに異母弟の話を聞いていたナタリアは、合点がいった。
リシュタルトはそのとき、獣化した異母弟に出くわしたのだ。
当時、オルバンス帝国は、リシュタルト派と異母弟派ですでに政権が揺らいでいたと思われる。
敵対するリシュタルトと異母弟は、それまで一度も会ったことがなかったのだろう。
そのときが、おそらく初めての出会いだったのだ。
『この場所に来るたびに思うんだ。俺よりも器用なあいつの方が、本当は皇帝になるべきだったと。――俺はあいつに罪滅ぼしをしなければならないと』
それ以上は口を閉ざしてしまい、リシュタルトは何も語ろうとはしなかったが、ナタリアはなんとなく彼の異母弟への不器用な愛を感じ取ったのである。
アビーとドロテの目をかいくぐり離宮から逃げ出したナタリアは、森の奥地で、生まれて初めてリシュタルトと遭遇した。
そのときのリシュタルトは、獣化していた。
どうしてあのときリシュタルトが獣化した姿であの場所にいたのかをナタリアが知ったのは、ずっとあとになってからのことだった。
リシュタルトとふたりで散歩中、一度だけあの場所に連れて行かれたことがある。
そのとき、辺りには一面に菜の花が生い茂っていた。
城の片隅で人知れず黄色い花々が咲き誇っている様子は、心が洗われるような美しさで、ナタリアは思わず『わぁっ』と叫んで瞳を輝かせた。
『きれいな場所ですね!』
『ああ』
あたたかな風に銀の髪をなびかせながら、リシュタルトがどこか遠い目をした。
『昔、獣化がうまくできなくてな。十五歳頃だったろうか、よくこの場所でひっそり獣化の練習をしていた』
『そうだったのですね。お父様、いつもスムーズに獣化なさるから、獣化って簡単にできるものだと思っていました』
『コツをつかむまでは、案外難しいものだぞ。レオンも苦労したものだ。だがレオンが獣化できるようになったのは七歳くらいだったから、俺よりは早かった。俺は十三歳でようやく獣化できるようになったからな』
知らなかったリシュタルトの過去話は、ナタリアにとって新鮮だった。
何もかも器用にこなしているイメージだったが、彼でも苦労することがあったらしい。
沈黙のあと、ふとリシュタルトが口を開く。
『――練習のおかげでようやく獣化が安定してきたころ、この場所で子供の狼に会ったことがある。仔犬のように小さい狼だった』
『子供の狼がこの場所に?』
ナタリアは首を傾げた。
狼やドラドは獣保護区にいるので、まず出会うことはない。
野生種ならまれに出くわすことがあるが、巨体の彼らでもさすがに城の外壁を超えて入ってくるの至難の業と思われた。
子供の狼は、どうしてこんなところにいたのだろう?
『俺とよく似た銀色の毛並みを持つ狼だった。咄嗟に感じたよ、こいつは俺と同じ血が通っているって』
『お父様と同じ血?』
イサクからすでに異母弟の話を聞いていたナタリアは、合点がいった。
リシュタルトはそのとき、獣化した異母弟に出くわしたのだ。
当時、オルバンス帝国は、リシュタルト派と異母弟派ですでに政権が揺らいでいたと思われる。
敵対するリシュタルトと異母弟は、それまで一度も会ったことがなかったのだろう。
そのときが、おそらく初めての出会いだったのだ。
『この場所に来るたびに思うんだ。俺よりも器用なあいつの方が、本当は皇帝になるべきだったと。――俺はあいつに罪滅ぼしをしなければならないと』
それ以上は口を閉ざしてしまい、リシュタルトは何も語ろうとはしなかったが、ナタリアはなんとなく彼の異母弟への不器用な愛を感じ取ったのである。



