そして次の日、1階エントランスにて……。

「あれ?加藤さん」
「……ああ……」

違う部署に行った後輩に、声をかけられた。

「こんなところで何やってるんですか?」
「ちょっと……コンビニに……」
「そうなんですね、行ってらっしゃい」

……嘘だった。

「……加藤マネージャー?」
「……ああ……」

直属の部下に、声をかけられた。

「あの……さっき加藤さんを、部長が探してましたよ?」
「あ、ああ……コーヒー……買いに行ってくる」
「わかりました、部長に言っておきますね」

……これも……嘘だ……。

高井綾香の面談の時間まで、あと15分。
僕がここに来てから、15分経っている。

本当ならば、僕は今日彼女と会う必要はない。
どんっとかまえて、結果だけ待てば良い。
上司面談は、二次以降。
しかし、今日の人事面接で高井綾香が落とされる可能性も正直充分にある。
そうなったら……。

などと考えている内に、居ても立っても居られなくなり、1階とオフィスがある4階を行ったり来たりしていた。
しかし……自慢することではないが……普段はよっぽどなことがない限りは、オフィスに缶詰になる僕。
周囲が訝しんでも、不思議ではなかった。

僕は自分の行動が恥ずかしくなり、やっぱり戻ろう……とエレベーターのボタンを押した……その時。

ういーん

自動ドアが開く音。
どうせ社員が戻ってきたのだろう……と、特に気にも止めずにエレベーターが降りてくるのを待っていると、知っている香りがした。

あの日のレモンの香り。
たった1度だけ、嗅いだ香り。

いつの間にか、僕の真横には、スーツ姿で、YAIDAの制服姿より年齢相応の少し大人びた様子の高井綾香が立っていた。

どうする。
久しぶりと話しかけるべきか……。
いや、普通に挨拶を……。
などと考えている内に、エレベーターの扉が開く。
高井綾香がスムーズに乗り込み、エレベーターのボタンの近くに立った。
慌てて、僕も乗り込む。

「何階ですか」

高井綾香が聞いてきた。

「……4階で」

僕が答えると、高井綾香は2階と4階をぽちぽちとおした。
2階は、面談で使われる応接室がある階だ。
高井綾香は、エレベーターの中をキョロキョロと見渡している。
僕は、そんな高井綾香から目を外すことができなかった。

ぱちっと目が合う。
しまった……と思ったが、せっかくだから何か話しかけてみよう。

「あの……」

と発してみてから初めて気付く。
僕はいつも話しかけられる方で、こういう時の話し方を知らない。

どうしよう。
久しぶり……と言ってくれるだろうか。
いや、僕が本当なら言わないといけないだろう……。

そう、心の中で押し問答を高速で繰り返し、最終的に……

「面接……頑張ってください」

としか言うことができなかった。
もっと気が利いた言葉は出なかったのか……と、自分で自分が言ったことに後悔していると

「……ああ!この会社の方ですか?」
「……え?」
「すみません、初対面なのに……ご親切にありがとうございます」
「あっ、え?」

エレベーターが2階に到着する。
扉が開くと、高井綾香はぺこり、と軽く僕に会釈をすると、そのまま行ってしまった。

え、それ……だけ?

呆然と僕は、エレベーターの扉が閉じ、高井綾香の姿が見えなくなるのを眺めるしかできなかった。