「一体どう言うつもりですか、加藤さん」

通されたのは、応接室。
不機嫌さを隠さない表情で迎えてくれたのは、僕に出禁を言い渡した人事部長の長谷部さん。
目の隈が少し気になるが、オーダーメイドをしたのだろう、自分のよく似合うグレーのスーツをとても綺麗に着こなしているダンディーさは業界でも有名だ。

どの転職支援企業を利用するか。
どう利用するか。
誰を採用するか。

そういった、僕たち人材業界の人間にとってはパワーバランスすら左右する程の強大な権力を持った人物。
特に、大手企業の人事部長というのは、数千万円の行く末を左右する人物。
それが長谷部さんだ。
そんな人物に睨まれてしまったら、普通なら蛇に睨まれたカエルのように、立ちすくむしかない。
少なくとも、さっきまでの僕も、たった1度しかない機会を、自分が生かし切れるのかに、怯えていた。
そもそも、その1度の機会すら、手にすることができるかどうかに、怯えていた。

「私は、何も話す事はないのだが?」

実際こうして、長谷部さんからは、はっきりと拒絶の意思を示されている。

だけど、今は違う。
「1度」、チャンスがあるのだ。
それで、充分だ。

僕は、心の中で一言「落ち着け」と呪文のようにそっとつぶやく。
ラムネのビー玉の音がからんっと綺麗に鳴った。

そこからは、早かった。
まずは、今後のリカバリー策について、考えられる限りの提案した。
求めている人物像の洗い出し、どうすれば連れてこられるかの再分析の結果を伝えた。
しかし、人事部長は眉ひとつ動かさない。
ここまでは、想定内だ。
向こうも、そしてこちらも。
だから、用意した。

これまで積み上げてきた知識、そして経験を総動員して作ったプロジェクト。
それは数年先、この企業が確実に取り組むであろう未来のプロジェクトを予測した、先回りした人員配置計画。
今は注目されていない、とあるスキルを持った人間が、近い将来必ずこの企業で必要になる、と僕は以前から考えていた。
そしてまだ、そのスキルの重要性と希少性に気づいている企業は少ない。
今なら、先回りできる。
人を採用する事は、経営を左右する重要な意思決定。
僕らの仕事は、まさに企業の未来に左右する仕事。
だから、生半可な気持ちで向き合ってはいけない。
特に、この企業の未来は、日本の未来にも直結する。
その重みは、この企業を担当してからより身に染みていた。

これは、僕が今できる精一杯。
最初は、ミスをカバーするために作った。
しかしそれでは、相手の心を動かせない。
特に今回の相手は、無数にある人材系の企業を相手にしてきたベテラン中のベテラン。
生半可な向き合い方では、あっという間に切られる。

未来を創る覚悟を見せる。
そういう仕事に喜びを感じる。
自分を庇うのではなく、共に企業の行く末を創り上げる。
そのために、今自分にできる事を、冷静に……しかし熱も伝える気持ちで、長谷部さんにプレゼンした。

その結果。
まず出禁は、解除になった。
そしてこのプレゼンで出した、全く新しい求人も独占で手に入れた。
最後には、長谷部さんから握手を求められ

「また、君にお願いしたい」

と強く手を握りしめてくれた。
僕は、涙を流さないよう、平静を装いながら

「勿論です」

と答えるだけで胸がいっぱいだった。
僕の声は、震えていた。

帰りはエレベーターホールまで、長谷部さんに送ってもらった。

「どうかね、今度これでも」

と、長谷部さんにくいっと手で飲み会を暗喩される。

「ぜひ!」

そう言って、またすぐの再会を約束する男同士の握手を交わす。
エレベーターが到着する。

「それじゃあ、頼むよ」
「はい、任せてください」

エレベーターが開き、僕が乗り込む。
そして1階のボタンと、閉じるボタンを押したその時。

「先輩待ってくださいー!!!」
「高井速く!エレベーター来てる!」

聞き覚えがある声とそうじゃない声、2つの女性の声が聞こえた。
柱の影から走ってきたのは、いかにも仕事ができそうな風貌の女性と……高井綾香。

「すみませんー待ってくださいー!」

俺は急いで開くボタンを押す。
高井綾香は長谷部さんに気づいたのか

「長谷部さんお疲れ様です」

と、丁寧に会釈をした。
長谷部さんが

「お客様の前だよ二人とも」

というと二人は急にぴしっとした態度で僕を見て

「すみません……」

と二人同時に謝りながら、そろりそろりと乗り込んできた。
そして

「あっ、エレベーターボタン、代わりますね」

と高井綾香が僕の近くに来た。
たこ焼きラムネの香りではなく、レモンの香りがほのかに香る。
それを嗅いだ僕は、さっきまでと違う熱を体から感じた。