恋に焦がれて鳴く蝉よりも

 いつもの、専務らしい落ち着いた受け答え
だった。

 けれど、その物言いが気に入らないのか、
女性は拗ねたように言葉を返す。

 「そうですけど。顔合わせの日取りをどうする
か、っていうメールの返事も頂けないままだし、
もしかしたら忙しいのかもしれないと思って、
来てしまったんです。別に、会えなくても構わな
いと思って来たんですけど、迷惑でした?」

 くす、と専務の笑う声が聴こえた。
 きっと、首を振りながら笑んだに違いない。

 「とんでもない。光栄ですよ、僕のためにわざ
わざ、足を運んでもらえるなんて。でも、込み入
った話を社内ですることはできませんし、一先ず
場所を変えましょうか」

 そう言って、来た道を戻り始めた専務の腕に、
女性が腕を絡めるのが蛍里の場所からも見えた。

 キリ、と胸が痛んだ気がしたが、それは緊張か
らかもしれない。2人の姿が見えなくなると、
蛍里よりも先に滝田が、ほぅ、と息を吐いた。

 「折原さんも話には聞いてるだろう?今のが
安永財閥安永財閥(やすながざいばつ)のご令嬢、秋元紫月(あきもとしづき)だよ。
まさか、会社にまで来るとは思わなかったけど
……良かったな。榊専務と2人でいるところを
彼女に見られなくて」

 何かを誤解したままの滝田が、そう言って
蛍里から目を逸らす。蛍里はもう、滝田にまで
嘘をつく意味もないと思い、顔の前でひらひら
と手を振った。

 「違うの。そんな風に勘ぐられるようなこと
じゃないの。ただ、専務が前から行きたいと
思ってた競合店があって、そのお店の視察に
付き合っただけで……その、滝田くんが心配す
るようなことは何もないから、誤解しないで」

 その言葉に、滝田が蛍里を向く。
 息がかかりそうな程近くからじっと見つめ
られて、蛍里は別の意味で心臓がどくどくと
騒ぎ出してしまった。

 そう言えば、色んなことがありすぎて、
すっかり忘れていたが、昨夜、自分は滝田に
肩を抱かれたのだ。

 あれは、あの滝田の腕には、どんな意味が
あったのか?

 ふと、滝田の腕の強さを思い出して頬を
染めた蛍里に、滝田は大きなため息をつくと、
ポン、と蛍里の頭に手の平をのせた。

 そうして、言った。

 「本当に、何にもないならいいけど。あまり
安易な行動をして目を付けられないように、
気を付けた方がいいよ。ここだけの話、社内の
女子たちの間で噂になってるんだ。君が専務の
お気に入りだとか、愛人候補だとか。飲み会の
席でもそんな話で盛り上がってる。折原さんは
真面目だし慣れてないから、男の本音とかわか
らないだろうけど。俺から見ても、専務は他の
女子と君を分けて見てる気がする。だから……」