夏休みが始まって、日差しはさらに熱を帯び、容赦なく地面に照りつけていた。紫の縦縞に桔梗柄の単衣を着た絃乃は、風呂敷を腕に抱え直す。
お茶のお稽古を終えて、市電のある通りを歩く。
(今回の練り切りは見た目も可愛らしかったけど、味も上品な甘さで……これがあるからやめられないのよね)
作法を学びたいという欲求よりも、美味しいものを食べたい欲求のほうが勝っている。
次のお茶菓子は何かしら、と期待を膨らませていると、無愛想な男が横を通り過ぎていく。目深まで被った帽子で目元を隠し、くたびれた丸首のシャツに木綿の袴、下駄を履いている。
(……もしかして、彼が隠しキャラの……?)
声をかけるべきか悩んでいると、その男は足早に歩いていく。
そして、前を歩いていた老婆とすれ違いざま、どんっと肩がぶつかる。
反動で老婆がよろめく。慌てて絃乃が目の前の背中を支えると、彼女の指にあった巾着をスッと抜き取った男が逃げる。
あっと気づいたときには、泥棒は人混みの中に走っていくところだった。
「だれかっ! その男をつかまえて!」
逃がすものかと急いで駆け出す。だが、驚いた人は左右に避けるばかりで、犯人との距離は縮まらない。息も絶え絶えになっていると、ふと前方に身なりのよい紳士が見えた。
「お願い! その泥棒をつかまえてください!」
紳士は前を通り過ぎようとしていた男に足払いをかけ、犯人が無様にも倒れ込む。横に落ちていた女物の巾着を取り、ぱんぱんと土埃を払い落とす。
地面に這いつくばっていた男は起き上がると、そのまま走り去っていく。逃げ足だけは無駄に速い。
背広を片手に抱いた紳士は、やっと追いついた絃乃を見て、手にしたものを差し出す。
「お探しものはこれですか。レディ?」
「……あ、これは、おばあさんの荷物なの」
「そうですか。では一緒に返しに行きましょうか」
優雅にエスコートされ、腰を抜かしたままの老婆の元まで戻る。
絃乃は彼女の前に腰を下ろし、両手で巾着を差し出す。
「この方が取り戻してくれたのよ。立てますか?」
「ああ、平気さ。二人とも、ありがとうね」
二人の手を借りて老婆が起き上がり、目尻に皺いっぱいの笑みを浮かべた。そのまま別れを告げるが、去り際に何度も頭を下げる。そのたびに絃乃も手を小さく振り返す。
(冷静に考えて、あれが隠しキャラなわけないよね。ただの盗人だったし……)
彼女の姿が遠くなった頃、律儀にも一緒に見送っていた紳士に絃乃も礼を述べた。
「雪之丞様。お助けいただき、ありがとうございます」
「ふむ? どこかでお目にかかりましたか」
不思議そうに見つめられ、気安く名前を呼んでしまったことに気づく。
お茶のお稽古を終えて、市電のある通りを歩く。
(今回の練り切りは見た目も可愛らしかったけど、味も上品な甘さで……これがあるからやめられないのよね)
作法を学びたいという欲求よりも、美味しいものを食べたい欲求のほうが勝っている。
次のお茶菓子は何かしら、と期待を膨らませていると、無愛想な男が横を通り過ぎていく。目深まで被った帽子で目元を隠し、くたびれた丸首のシャツに木綿の袴、下駄を履いている。
(……もしかして、彼が隠しキャラの……?)
声をかけるべきか悩んでいると、その男は足早に歩いていく。
そして、前を歩いていた老婆とすれ違いざま、どんっと肩がぶつかる。
反動で老婆がよろめく。慌てて絃乃が目の前の背中を支えると、彼女の指にあった巾着をスッと抜き取った男が逃げる。
あっと気づいたときには、泥棒は人混みの中に走っていくところだった。
「だれかっ! その男をつかまえて!」
逃がすものかと急いで駆け出す。だが、驚いた人は左右に避けるばかりで、犯人との距離は縮まらない。息も絶え絶えになっていると、ふと前方に身なりのよい紳士が見えた。
「お願い! その泥棒をつかまえてください!」
紳士は前を通り過ぎようとしていた男に足払いをかけ、犯人が無様にも倒れ込む。横に落ちていた女物の巾着を取り、ぱんぱんと土埃を払い落とす。
地面に這いつくばっていた男は起き上がると、そのまま走り去っていく。逃げ足だけは無駄に速い。
背広を片手に抱いた紳士は、やっと追いついた絃乃を見て、手にしたものを差し出す。
「お探しものはこれですか。レディ?」
「……あ、これは、おばあさんの荷物なの」
「そうですか。では一緒に返しに行きましょうか」
優雅にエスコートされ、腰を抜かしたままの老婆の元まで戻る。
絃乃は彼女の前に腰を下ろし、両手で巾着を差し出す。
「この方が取り戻してくれたのよ。立てますか?」
「ああ、平気さ。二人とも、ありがとうね」
二人の手を借りて老婆が起き上がり、目尻に皺いっぱいの笑みを浮かべた。そのまま別れを告げるが、去り際に何度も頭を下げる。そのたびに絃乃も手を小さく振り返す。
(冷静に考えて、あれが隠しキャラなわけないよね。ただの盗人だったし……)
彼女の姿が遠くなった頃、律儀にも一緒に見送っていた紳士に絃乃も礼を述べた。
「雪之丞様。お助けいただき、ありがとうございます」
「ふむ? どこかでお目にかかりましたか」
不思議そうに見つめられ、気安く名前を呼んでしまったことに気づく。



