第十一章:宰相の椅子
朝。
アジトのリビングには、静かな時間が流れていた。
眠っていた滝沢が、おもむろに体を起こし、リモコンを手に取り、テレビの電源を入れる。
軽快な音楽と共に、明るい朝のニュース番組が始まった。
その時だった。
【ピロリロリン!ピロリロリン!】
甲高い緊急速報の音が、部屋の空気を切り裂いた。
『―――臨時ニュースをお伝えします。先日、急逝された、大野勇・元内閣総理大臣の「国葬」の実施を巡り、与野党の間で、意見が対立している模様です。野党側は、国葬の実施に、多額の税金が投入されることに対し、国民への説明が不十分であると、強く反発しており……』
アナウンサーの、淡々とした声が、テレビから、流れてくる。
その、他人事のようなニュースが、自分の人生を、根底から破壊したのだと、璃夏は、ただ、呆然と、聞いていた。
【回想 ― 大野勇次郎】
五年前。
大野勇次郎は、与党の、若きエースだった。
歯に衣着せぬ物言いと、卓越した行動力。そして、元総理大臣である父から受け継いだ、圧倒的なカリスマ性。誰もが、彼を、次期総理大臣になる男だと信じて疑わなかった。そうなれば、日本憲政史上、最年少での総理大臣が、誕生するはずだった。
だが、彼は、失脚した。
一つの、女性スキャンダルによって。
彼は、全ての要職を辞任し、政治の表舞台から、完全に姿を消した。
そこから、五年。
彼は、ただ、耐え続けた。屈辱に耐え、あらゆる雑務をこなし、頭を下げ続け、ただひたすらに、信用を取り戻すためだけに、生きてきた。
その、地を這うような努力の甲斐あって、彼は、環境大臣というポストで、再び、大臣の椅子に、返り咲いたのだ。
そして、彼の、完全復活をかけた、大舞台がやってくる。
G20環境大臣会合。
世界のトップが集まるこの場所で、彼が打ち出したのは、日本の「原子力発電の、再推進」という、大きな賭けだった。
「パリ協定の目標を達成するためには、クリーンエネルギーとしての原子力の活用が不可欠である」
彼は、そう、世界に向かって、高らかに宣言した。
会合は、成功に終わった。世界のメディアは、彼を「日本の、若き、そして力強いリーダー」と、絶賛した。
だが、彼が、意気揚々と日本に帰国した時、待っていたのは、信じられない光景だった。
父であり、元内閣総理大臣である、大野勇が、国会議事堂の前で、「脱原発」を訴える、市民デモの、先頭に立っていたのだ。
それを受け、世論は、一気に、脱原発へと傾いた。過去の、大規模な原発事故の記憶が、人々の心に、蘇ったからだ。
新聞も、テレビも、「偉大な父は、息子の過ちを、正そうとしている」「やはり、勇次郎は、国民のことなど、何も考えていない」と、彼を、一斉に、叩き始めた。
勇次郎は、自室で、そのニュースを、見ていた。
テーブルを、強く、強く、叩いた。
「俺の……邪魔を、するなぁぁっ!!」
彼は、デスクの電話の内線で、秘書を呼び出す。
電話が、繋がる。
「あの、クソ親父を、止める方法はないか?」
その声は、怒りで、震えていた。
『「止める」……と、申しますと、どのような形で、ございますか?』
秘書は、冷静に、問い返した。
「……もう、そろそろ、引退してもらう」
勇次郎は、吐き捨てるように、言った。
「―――人生からな」
一瞬の沈黙。
そして、秘書は、全てを理解した上で、静かに、そして、的確に、答えた。
『……承知、いたしました』
『少々、心当たりが、ございます』
『ただ……』
「なんだ?」
『少しばかり、お値段が、高くつきますが……よろしいでしょうか?』
「構わんッ!!」
勇次郎は、叫んだ。
『―――かしこまりました。直ちに、手配いたします』
電話の向こうで、秘書は、静かに、そう、告げた。
こうして、日本で最も、権力と金を持つ男の一人によって、この国で、最も、静かに、そして、確実に、仕事をこなす、一人の殺し屋が、動き出すことになった。



