響に導かれるまま、リカが足を踏み入れたのは、まるで女優の楽屋のような、広大な空間だった。
30畳はあろうかという、柔らかな絨毯が敷き詰められた部屋。壁の一面には、ずらりと豪奢なドレスが並び、もう一方の壁には、いくつもの大きなドレッサーが、静かに光を放っている。
「ではリカさん、そちらに、お座りいただけますか?」
響は、部屋の中央にある、ひときわ豪華なドレッサーの椅子を指し示した。
リカは、言われるがまま、その柔らかな椅子に、深く腰を下ろす。
「私が、メイクをさせていただきますが、よろしいでしょうか?」
ドレッサーの大きな鏡に映る響が、穏やかに微笑みながらそう言うと、リカは、ただ「はい」と答えるしかなかった。
響が、リカのメイクを始める。その手つきは、驚くほど、優しく、そして迷いがなかった。
「……とても、綺麗なお顔をしていらっしゃいますね」
そう言いながら、響は、プロの技術で、リカの顔を、一つの芸術品のように仕上げていく。
普段、あまりしっかりと化粧をしないリカは、鏡の中で、自分の顔が、見たこともないほどに洗練され、変化していく様に、ただただ驚いていた。こんなにも、メイクというものは、人を変えてしまうものなのか、と。
「……リカさんは、滝沢さんと、お付き合いをなされているのですか?」
不意に、響が、静かな声で尋ねた。
「い、いいえ!そんな……滅相もありません!」
リカは、思わず、声を裏返して否定した。
「ふふっ。失礼いたしました。少し、気になったものですから」
響は、悪びれる様子もなく、優雅に微笑んだ。
「きっと、あまり深くはお聞きしない方が、よろしいことなのでしょうね」
その言葉に、リカは何も答えられなかった。
(今の、滝沢との関係性は、何……?)
考えてみても、答えは出ない。ただ、一番近い言葉を探すとしたら、それは―――。
(……奴隷、なのかな)
そんな、絶望的な言葉が、リカの胸をよぎった。
「リカさん、メイクは終わりましたわ。次は、ドレスを決めましょう」
そういうと、響は、ドレスが並んでいる場所へと、リカを連れていく。
かなりの数のドレス。しかも、そのどれもが、リカが今まで生きてきた世界では、決して目にすることのないような、高級なものばかりだった。
「リカさんのご身長ですと、あまりたくさんは選べないのですが……」
リカの身長は、150cm程しかない。
響は、その中から、リカの背丈に合うものを、手際よく何着か選び出すと、リカの前に並べて見せた。
「この中で、リカさんがお気に召したものがあれば、どうぞ、ご試着なさってください」
リカは、その中の一着、派手さはないが、上品な白いレースがあしらわれた、落ち着いたデザインのドレスを、そっと手に取った。
「では……これを、着てみても、いいですか?」
「もちろんでございます。どうぞ、ご試着ください」
響にも手伝ってもらい、そのドレスに袖を通す。
そして、姿見に映る自分の姿を見て、リカは、思わず息を呑んだ。
「……自分じゃ、ないみたいです……」
「いいえ。すごくお綺麗ですよ、リカさん」
「……ありがとうございます」
「ドレスは、そちらでよろしいでしょうか?」
「あ、はい。これで、いいです」
「では、もう一度、こちらへ」
響は、ドレッサーの方を指す。
リカが再び椅子に座ると、今度は、ドレスから覗くデコルテや背中に、きめ細かなパウダーをはたき、上品なラメを乗せていく。
仕上げに、甘く、それでいてどこか官能的な香水を、ふわりと振りかけた。
響は、満足そうに微笑む。
「これで、全て終わりです」
ドレスの丈は、思ったよりも短く、少し恥ずかしい。だが、それ以上に、自分の変わりように、リカは見とれてしまう。鏡の中にいるのは、昨日までの「結城リカ」ではない、全く知らない、一人の「女」だった。
「では、一度、滝沢さんのところへ戻りましょう」
リカと響は、滝沢がいる、あの個室へと向かう。
個室に入ると、滝沢は、先ほどと全く同じ体勢で、ソファに深く座り、タバコを燻らせていた。
「滝沢さん、お待たせいたしました。こちらの準備は、終わりましたわ」
響が、静かに告げる。
その言葉に、滝沢が、ゆっくりと顔を上げた。そして、その視線が、リカに注がれる。
その、射抜くような視線に、リカの体は、再び氷のように硬くなる。
(やっぱり……この人に、見られると、緊張する……)
滝沢は、響に向かって、短く言った。
「こっちも、準備したい。二人にしてくれ」
「かしこまりました。終わりましたら、お呼びください」
響は、優雅に一礼すると、音もなく個室から出て行った。
部屋には、滝沢と、そして、「女」に変えられたリカの二人だけが残された。
滝沢は、ソファから、すっと立ち上がる。
そして、リカの前まで来ると、その口の端を、三日月のように吊り上げて、ニヤリと、微笑んだ。
その笑みは、まるで、これから始まる「ショー」を、心から楽しんでいるかのようだった。