「ふぅん……イヴァン王子、切羽詰まってるんだねぇ」

 他人事のような口調ながら、サディアスの表情にいつもの笑みはなかった。
 据わった瞳で臙脂(えんじ)色の絨毯をつと撫で上げ、皇太子はにこりと唇の端を吊り上げる。

「ひとまずご苦労、ゼルフォード卿。お前を連れて来て正解だったよ。王子が逃げたことについては気にするな」
「しかし……」
「今日の騒動に件の脱獄囚が絡んでると知って、エルヴァスティ王が全面的な支援を約束してくれてね。結果オーライってやつさ」

 大陸西部のいざこざに消極的だったエルヴァスティも、さすがに知らん振りを続けられなくなったのだろう。皇太子の身を危険に晒した謝罪と、自国から出た大罪人の不始末を認め、王宮と寺院は全会一致でクルサード帝国への助力に賛同した。
 サディアスとしては本来の目的を達成できた上に、キーシンの残党を追い詰める大きな一歩を得たというわけだ。

「お前も慣れない土地で走り回って、さすがに疲れたんじゃない? 影の力も使ったそうじゃないか」
「あ……ええ、咄嗟に」

 エドウィンは指差された胸元を見下ろし、そこに掛けられたロケットをつまむ。
 唐草模様の中で鎮座する影の霊石。リアの精霊術に導かれ、数か月ぶりに影獣の姿を取ったが──かつてのような眩暈や頭痛には見舞われなかった。
 むしろ谷底へ近付くにつれて意識が明瞭になったような気さえしたが、あれは何か理由があったのだろうか。またリアを通して寺院に報告しておくべきかと考えたところで、視線を感じたエドウィンはふと顎を上げた。
 一人掛けのソファに深く腰掛けたサディアスは、おもむろに片手を振る。

「とにかく少し休め。外真っ暗だけど、イネスに聞いたら夕方とか言うし」
「はい、お気遣いに感謝いたしま……」
「あ」

 礼と共に頭を垂れようとすれば、大きめの声がそれを遮った。
 エドウィンがちらりと皇太子を窺えば、平素の悪戯っぽい瞳が彼を迎えたのだった。

「そういえば明日の夜はダンスパーティだったね。誘う相手は決まったのかい、色男」