長い黒髪。皺が寄った眉間。尊大に組まれた両腕。ここは通さないという強い意思を感じさせる仁王立ち。
 ──幼い少女リアは立ちはだかる強敵を前に、ブサイクなぬいぐるみをより一層握り締めた。

「ガキのやることだから大目に見ろと、大巫女から散々言われたが……甘やかすのは今日までだ、オーレリア」

 ぎらりと睨み下ろされ、ごくりと唾を呑み込む。
 どうやら相当怒っているようだ。何だろう。もしかしてこの奥にある部屋、入っちゃいけない場所だったのだろうか。いやしかし、昨日まで好きに中を探検していたのに、どうして今日は駄目なのか。
 気圧されるままリアはきょろきょろと周りを見渡し、しれっと彼の股下をくぐろうとした。

「待て待て待て聞けぇ!! ここにはもう入るなって言ってんだよ!」
「わー!」

 だが見事に両脇を捕えられ、リアの体がひょいと浮く。目まぐるしく動いた視界の中央、絶句する彼の顔がすぐそこにあった。

「なんで? リア、ここすきー」
「すきーじゃねぇよ、毎度毎度お前、当然のごとく薬草ぶちまけては満足して寝るのやめろ! 日課か!? お前の遊び道具はそれ!」

 険しい瞳が差し向けられたのは、彼が縫ってくれたぬいぐるみだ。リアはふにゃふにゃに(しお)れがちなそれを抱き締め、いびつに飛び出たボタンの目玉を手で引っ張る。放せば、ぺち、と弾かれる目玉。
 無言でそれを繰り返していると、やがて彼が打ちひしがれた様子で項垂れる。

「まずい、人の心が育ってねぇ……いや分かった、お前その目玉遊びに飽きたってことだな?」

 リアを抱きかかえることで残酷な遊びを止めさせた彼は、理解したというふうに大きく頷いた。
 彼の少しじょりじょりとした顎を触っている最中に、リアは食卓の椅子に降ろされる。子ども用のクッションを積んだ席の隣、どかっと腰掛けた彼はひとつ息を吐き。

「面倒だが、お前の倫理観形成のためだ。明日、町に下りるぞ」
「まち?」
「坂を下った先にある」
「ふぅん」

 坂──それは玄関先にある柵の向こうのことだろうか。たまに彼が仕事に出かけるとき、いつもあそこを通って坂を下っていくのだ。
 どうやら明日は一緒に連れて行ってくれるらしい。リアは両脚をばたばたと動かしながら、面倒臭そうにしている彼の方へ手を伸ばした。

「だっこ!」
「さっきしたろ」

 そう言いつつ抱き締めてくれるのだ、彼は。
 ぬいぐるみごと大きな腕に収まれば、リアの好きな木材の匂いが鼻腔を満たす。ぎゅうと顔を押し付ければ、調合に使う薬草の匂いも加わった。

「あー……名前は忘れたが、お前と同じぐらいのガキがいたな。そいつと遊んでりゃ調合室にはもう来ねぇだろ──」

 うとうととまどろむリアの耳を、彼のそんな独り言がくすぐる。
 少女が調合室に侵入しまくっていたのは、別に退屈が過ぎたからではない。ただ単純に、この温かな匂いに釣られてしまうだけ。自分さえ近くにいれば、少女が驚くほど大人しく寝てくれると彼が知るのは、もう暫く後のことだった。