風の精霊を駆使してイネスの後を追っていると、やがて寺院の中庭に辿り着いた。
 きょろきょろと辺りを見回してみれば、植え込みの裏側に亜麻色の髪の乙女が屈んでいる。彼女らしからぬ体勢で手紙を見詰めているのが珍しく、リュリュは暫く様子を窺ってしまった。
 
「……イネス?」

 ようやく声を掛けたのは、イネスの肩が微かに震えていることに気付いたときだった。
 そうっと顔を覗き込んでみると、伏せた薄氷色の瞳からぽろぽろと涙があふれている。いつも優しく気品ある彼女の、これまた稀有な表情に驚いたリュリュは、小さな手のひらで雫を押さえた。
 しかし文を読み終えるや否や、イネスはいよいよ手紙を顔に押し付けて蹲ってしまう。

「……リュリュ、私ね」
「うん」
「私、リュリュと同じくらいのときに、──とっても、大事な男の子がいてね」

 嗚咽交じりの言葉はか細く、消え入りそうなほど小さい。
 リュリュは耳を傾けつつ、彼女の隣に腰を下ろした。

「その子と久しぶりに会えたの。私のこと、怖くないって、魔女なんて思ってないって……言ってくれて嬉しかった」

 でも、とイネスは深く息を吸う。引き攣った喉で何度か唾を飲み下し、再びまとまりのない言葉を紡ぐ。

「私たちが仲良くしてたのは、もうずっと昔だったから。ちゃんと、距離を開けなくちゃと思って。彼にとっても、あの謝罪でもう区切りが付いたんじゃないかって」
「……距離?」
「何でもないようなフリをしたのよ。何にも気にしていないような顔を」

 そこで彼女が小さく息を噴き出した。
 手紙を顔から離したイネスの表情は、涙に濡れながらも晴れやかで、隠し切れない嬉しさが滲んでいる。


「……っ駄目ね。まだ気にかけてくれてるって分かって、こんなに喜んじゃうなんて」


 リュリュは目を真ん丸に開いたまま、少女のように可憐な笑みを凝視した。つい先程までの、疲労の溜まった笑みとはまるで違う。
 それほどその手紙は──皇太子の言葉はイネスにとって活力になるものだったのだろうか。
 忘れずに渡して良かったと安堵しながら、一呼吸置いたリュリュは肝心なことについて尋ねた。

「そっか。何て書いてたの?」
「え!? あ、ううん、それはその、内緒よ」
「?」

 泣き顔から一転、頬から耳まで赤くしたイネスは、手紙をそそくさと折り畳んでは封筒に入れてしまう。
 読ませてくれないのかと、リュリュは残念がる素振りを見せながらしれっと頭を働かせる。隠されると気になるのが人間の性、こうなったら二か月前に皇太子が出したと言う手紙を見てみるか。恐らくイネスの自室に届けられているはず──。

「リュリュ? 視線が合わないけど、何か悪いこと考えてない?」
「考えてない」
「…………あっ。私の自室に行く気でしょうっ! 悪戯は駄目ですからね。ほら、湯殿に行ってらっしゃい!」

 その場でひょいと抱き上げられ、計画が早々に頓挫したことを悟ったリュリュは、大人しくイネスの肩にしがみつく。

 ──その後、イネスの婚約が公表されて国中が大騒ぎになるまで、長い時間は要さなかった。意図せず橋渡し役となっていた賢き少年は、しかして手紙の内容だけはいくら考えても推し測れず。
 皇太子から直々に送られてきた謎の返礼品の数々を眺め、更に首を傾げることになったのだった。