「ああ。丁度、お前と入れ違いに王都に帰還した。礼を言いたかったようだ。ご家族について」

 王都に住む王族は、度々、最前線となる北部基地の慰問に行っていた。
 その時によく護衛として同行していたのが、クシャースラが所属する部隊であった。
 クシャースラは長期の遠征に出る際は、奥方をオルキデアに託していくが、その話だろうか。

「そうですか。今回はクシャースラが帰還する前に、こちらも出兵してしまいました。悪い事をしました」
「あっちも、しばらくは休暇で王都にいるそうだ。お前も報告を終えたら休暇を取って、屋敷に戻ったらどうだ?」
「そうですね……」

 独り身のオルキデアは、滅多に屋敷に戻らない。せいぜい、着替えを取りに戻る程度で、普段は執務室に併設している仮眠室を使っていた。屋敷の管理を人に任せているので、わざわざ戻る必要が無いというのもあるが、誰もいない屋敷に戻るのも億劫であった。

「それから、もう一人だが、こっちは最近来ていたな。妙齢の女性で、名前はティシュトリア・ラナンキュラスと名乗ったそうだ」
 オルキデアの手がビクリと震えた。
「知り合いか?」
「……いいえ」

 数年ぶりに聞く名前だった。オルキデアが生きている内は、もう聞く事はないと思っていた。

「そうか。また出直すと言っていたから、近々、やって来るだろう」
「そうですか……」

 嫌な汗が背中を流れる。
 どうして、今更やって来たのか。
 父の葬儀にも来なかった。あの女がーー。

「どうした? 顔色が悪いようだが」
「いいえ。なんでもありません。それでは、まだ仕事が残っていますので、これで失礼します」
「ああ。無理はするな」

 そうして、オルキデアは敬礼すると、プロキオン中将の執務室を後にした。
 息が苦しかった。執務室から離れると、通路に片手をついて、荒い息を繰り返す。

「どうして、今頃、やって来るんだ……」

 子供の頃は、どんなに望んでも、オルキデアの元に来てくれなかった。
 父に産まれたばかりのオルキデアを押し付けて、屋敷の資産だけ食い尽して、別の男の元に行った。
 一度だって、オルキデアを見てくれなかった。
 自分が産んだ、息子をーー。

 ようやく息を整えると、オルキデアは歩き出す。
 誰にも悟られないように、いつも通りの冷ややかな顔をすると、コツコツと靴音を立てて、自分の執務室に向かったのだった。

 数週間ぶりに執務室に入ると、書類と空の酒瓶の山がオルキデアを出迎える。
 その中に、フードを目深に被った人が立っていた。
 オルキデアが入ってきた事に気づくと、目深に被ったフードを外して振り返ったのだった。

「オルキデア様」

 フードの人物はアリーシャだった。書類と空の酒瓶を掻き分けながら、オルキデアはアリーシャに近づく。

「ずっと車に乗っていただろう。疲れていないか?」
「はい。大丈夫です。オルキデア様こそ、お疲れではないですか?」
「俺は慣れているから大丈夫だ。それより一人か?」
「またアリーシャを一人にして……」と、オルキデアが愚痴を溢すと、アリーシャは「違います」と否定した。