フラれもの同士(原題:頑固な私が退職する理由)


 この日の夜、風呂上がり。
 ストレッチを済ませて脚を揉んでいると、脇に置いていたスマートフォンが震えた。
【着信 沼田春華(はるか)
 ディスプレイを見た瞬間、自分の両眉が寄ったのがわかった。
 春華は母の名だ。出ないとあとからうるさいので、私はいったん深く呼吸をしてから通話ボタンをタップした。
「もしもし」
『ああ、愛華? お母さんやけど』
 母は私と同じで声が高い。コテコテの京都訛りで、ちょっとねちっこいしゃべり方をする。
「うん、どうしたの?」
 そこまで言って、しまったと思った。
 母は私が東京の言葉で話すのを嫌がるのだ。
 彼女の機嫌を損ねると面倒なので、私は慌てて言い加えた。
「お母さんが夜中にかけてくるの、めずらしいやん」
 しっかりと、訛りを利かせて。
『昼間にかけたって、あんた出ぇへんやんか』
「そら仕事中やもん」
 母は数分間自分の言いたいこと……主に連絡の取りにくい私へのクレームを吐き出したあと、こんなことを言った。
『春にこっち帰ってきたら、忙しいで。まずは見合いや』
「はぁ!? 見合い!?」
『そうや』
「なにそれ、聞いてへん!」
 マンション暮らしなのに、つい大きな声が出る。
 だってこんなの、黙っていられるわけがない。
『そんなんゆーたってあんた、アラサーやのに付き合うてる人もいーひんのやろ?』
「いーひんけども」
 いないけど、好きな人はいる。
 恥ずかしくてそうとは言えないが。
(つかさ)くんは乗り気や聞いてるけど』
 よく知っている名前に、私は再び驚かされた。
「は? 相手、司なん?」
 御園(みその)司とは、幼馴染み……というよりは腐れ縁と称する方が正しい、同い年の男友達だ。幼稚園からの付き合いで、小・中・高は別々だったけれど、大学はたまたま同じ。大人になった今でも付き合いが続いている。
 そんな彼は、京都を中心に国内外にいくつもの旅館やホテルを経営している老舗ホテルグループの御曹司だ。
 ビジネスの関係で親同士の仲がよく、学校が別々の時期も定期的に顔を合わせていた。