「俺は別に早く偉くなりたいわけじゃないし、ガツガツするのは苦手なんだよ」
「そうかもしれないけど、期待してる人もいるよ?」
私とか、まりことか、広瀬とか、山中部長なんか、特に。
「そりゃありがたいけど、俺は俺なりのペースで生きてるし、充実してるし満足してる。キャリアも人間関係も、長期的に少しずつ育むのが好きなんだ。それに……」
「それに?」
「俺がいい思いをする代わりに、誰かが傷つくのを見るのが嫌だ」
やけにまじめなトーンだった。きっとこれが彼のお人好しな性格の本質なのだろう。
私のような性格の悪い女にとっては目から鱗だ。優しいにもほどがある。
「私とは正反対だね。私、誰かを傷つけてでも手に入れたくなるタイプだもん」
彼はわかっているのだろうか。
私のように、彼にいい思いをしてほしいと願っている人間がいることを。誰を傷つけたとしても、彼に幸福になってほしいと願っている人間がいることを。
「はは、そうだな。正反対だ」
「でもね、私、青木さんのおかげで学べたことがたくさんあるよ」
ぶりっ子で人を思い通りにしようとすることの浅はかさ。
自然体でいることの清々しさ。
誠実に仕事をすることの楽しさ。
能力を認められることの嬉しさ。
そして、打算のない恋のときめきと切なさ。
苦しい時の甘え方。
とびきり甘い夜の過ごし方。
「青木さんに会えなくなるの、寂しいなぁ」
目と鼻の奥がツンと熱くなる。喉から絞り出すように声を出した。
「沼田……俺」
「やだ、ごめん。会社辞めるからセンチメンタルになってるみたい」
目に溜まった涙を指で拭い、笑って見せる。
青木さんは困惑を滲ませつつ笑顔を返す。
「俺も、沼田のこと、わりと本気でかわいいと思ってるぞ」
「えへへ、ありがとう」
「会えなくなるの、俺も寂しいよ」
「……うん」
私が辞めても定期的に会える関係があるよ。
青木さんは、私とそんな関係に進むことを望まない?
お互いを探るように見つめ合うこと数秒間。
沈黙と寒さに耐えられなくなった私は、総務部へ向かうべく階段を降りた。



