「信じらんない! ふたりして、私のことバカにしてんの?」
「ごめん。俺が悪いんだ」
「違うの! 悪いのは私。私が彼を好きになったから……」
「だからって、人の彼氏に手を出していい理由にはならないでしょ?」
「手を出したのは俺からだ。彼女はなにもーー」
階下から聞こえてきた修羅場。姿は見えないので、どうやら階段の踊り場を折り返したところでお取り込み中のようだ。
やれやれ。就業時間内だというのに、なにやってるんだか。
この修羅場の横を通過するのは気が引けるので、非常階段を通ることにしよう。
私はさらに奥へと歩を進め、非常階段の扉を開けた。
非常階段は屋外にあり、扉を開けると太陽光と風が入ってくる。その風に乗って、香ばしいコーヒーの香りが漂ってきた。
こんなところでコーヒーを飲んでいたのは。
「青木さん……?」
「なんだ、沼田か」
なんだとはなんだ。私じゃ悪い?
私はムッと顔をしかめる。
「こんなところでなにやってんの」
「ちょっとサボり」
そう言った青木さんは、少し疲れているように見える。もうすぐ年度末だ。仕事が多いのだろう。
「コーヒー、すごくいい香り」
「飲むか?」
「うん」
彼が差し出してきた紙コップを受け取り、飲む。コンビニのコーヒーのようだけれど、コクがあって酸味と苦味のバランスもよく、美味しかった。
蓋の飲み口に付いたリップを指で拭い取り、カップを返す。彼は受け取るなりひと口飲んだ。
手すりに体を預け、横に並ぶ。
ふたりきりになるのは彼に化粧水をふりかけたあの時以来だ。
「おまえこそ、なんでこんなとこ来たんだよ」
「総務に行こうとしたら、屋内の方の階段で修羅場ってて」
「あー、人事部のやつらだろ? 俺が通った時もなんか言い合ってた」
「男の方が浮気したらしいよ。ビンタされてるの聞こえた」
「うーわ。欲張るとろくなことねーな」
青木さんだって私に手を出しながら他の女ともデートするじゃん。
そう言いたくなったけれど、気まずい空気を蒸し返しそうだからやめた。



