ただ誰かを刺したかっただけの咲は、千葉になんか興味はないはずだった。


「……羨ましい」


だけど痛みで歪む千葉の表情を見て、咲はそう零した。


「おい、千葉!しっかりしろ!」


医療の知識なんてない野田は、必死に千葉を呼び叫ぶことしかできない。
それに集中していたため、咲の独り言なんて聞いていなかった。


「千葉!」


何度も千葉を呼んでいたら、後ろで倒れるような音がした。
振り向くと、咲が自分で腹を刺していた。


「なっ……」


何が起きたのかわからなかった野田は、言葉を失う。


「笹崎……?」


恐る恐る名前を呼ぶが、反応はない。


床に血溜まりができていく。


「お前……罪も償わずに死ぬつもりかよ……なあ、おい!」


千葉から離れることができない野田は、感情のまま叫ぶしかなかった。


しかしそれはもう、咲には届かない。


かすり傷とは言えないほどしっかりと刺さったナイフは、咲が望んでいた痛みを与え、そして命を奪っていった。


「ふざけんなよ!」


野田は力任せに床を殴る。


長い黒髪で咲の表情は見えないが、口元はたしかに笑っている。


他人を傷つけ、恐怖に陥れた狂人は自分の欲望のままに死んでいった。


野田の怒りは、行き場を失ってしまった。