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 御蔭寮の門をくぐると、おいしそうな匂いに迎えられた。中庭で火を焚いて料理を作っている。にぎわいが門のところまで響いている。

 どこからともなく、神楽に似た音色が聞こえてくる。誰が奏でているわけでもない。寮が歌っているのだ。
 人間が改まった神事や奉納をおこなわなくても、寮がひとりでに浮かれ出すのが年に一回、この日の午後。せっかくだからと、人間が寮に付き合って、中庭でわいわいと火を囲み、料理を楽しむ。それが御蔭寮の収穫祭だ。

 沖田は鼻をひくつかせた。
「腹が減ったね。早く行こうよ」
「先に行って。わたし、部屋に荷物を置いてくる」
 わかった、と言って沖田はさっさと行ってしまった。

 わたしは左の袖《そで》をめくってみる。思ったとおり、沖田の指の痕がくっきり赤いあざになっていた。苦笑がこぼれた。

 はぐれないように、と。でも、沖田は手をつなごうとしなかった。たぶん、手首をつかむだけのほうが振りほどきやすいからだろう。わたしに右側後方を歩かせたのは、そこが抜刀の邪魔にならないからか。
 いや、そんなのはわたしの勝手な想像だが。

 部屋に戻り、買ってきた同人誌を机の上に置く。鏡に向かい、帯と髪を少し整えて、中庭に出た。
「いい匂い。おなか減ったな」

 大きな焚火が温かくて明るい。寮生のほとんどがここに集まっている。あっちもこっちもにぎやかだ。

 振る舞われる料理は、寮で採れる農作物で作られている。あちらには大鍋、こちらにはバーベキューコンロ、向こうにはずらりと並べられたおにぎりがあって、飲み物は冷たいものも温かいものも各種そろっている。

 炭火のバーベキューコンロには、ビニールハウスで年中作っている夏野菜たち。ピーマンやパプリカ、トウモロコシ、ナス、カボチャと、彩り豊かだ。

 敷地内を流れる川では、アユやイワナやウナギが獲れる。川魚はたびたび普段の食卓に上るが、ウナギはさすがに数が少ないから、収穫祭の夜だけのご馳走だ。今がちょうど旬で、脂が乗っている。

 焼きイモや焼き栗に、それらを使ったきんつばと、スイートポテトやモンブラン。林檎と早生みかんもまた、果実のままのものとパイに仕立てたものが並んでいる。

 沖田は、切石と巡野と一緒に、大鍋の近くのテーブルを陣取っていた。
 テーブルには、ところ狭しと料理が並んでいる。焼き野菜やお菓子、川魚の塩焼きやウナギの蒲焼き、誰かの差し入れとおぼしきローストされた肉のかたまり。

 沖田はもう、どんぶりの中身を半分ほど減らしていた。どんぶりの中身は、御蔭寮生なら尋ねるまでもない。
 わたしは沖田の隣に腰を下ろした。
「収穫祭定番のカレーうどん、きみの舌にも合う?」
 沖田はつるつるとうどんをすすりながらうなずいた。

「ちょいと辛いけど、温まるね。うまいよ。それ、あんたのぶん」
「ありがとう」
「早く食いなよ。伸びちまうぞ」
「うん。いただきます」

 御蔭寮のカレーうどんは、ごろごろ大きな具がたっぷり入っている。ジャガイモ、人参、玉ねぎ、大根、里芋。
 昆布とかつおぶしの香ばしいだしに、味を調えるのは薄口醬油。
 カレースパイスは御蔭寮秘伝のブレンドだ。ずいぶん昔、薬膳にも通じた薬学部生がレシピを書いたという噂ではあるけれど。

 片栗粉でとろみのついたスープは、まだ熱々だった。散らしたネギと一緒に、くたりと柔らかいうどんをすする。
「ああ、これだ。これ、好きなんだよね」

 香りはスパイシーだが、味わいはこの上なくまろやかだ。だしの風味に、煮込んだ野菜の優しい甘みが溶け込んでいる。
 わたしは、冷やしたうどんは細くて歯ざわりのいいものが好きだが、御蔭寮のカレーだしに合うのは、くたくたの太いうどんだと思う。スープを吸ってぽってりしているくらいがおいしい。